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アリスのくに――「帰れない部屋」

夜の山道を走っていると、突然、霧の向こうに古びた建物が現れた。 そこには、色あせた看板が残っていた。 「アリスのくに」 昔は人が集まる場所だったらしい。 しかし今では窓ガラスは割れ、建物の周囲には雑草が伸び放題になっていた。 「ちょっとだけ見てみようぜ」 同行していた友人がそう言って、入口へ向かった。 扉は鍵が壊れていて、押すと簡単に開いた。 中は真っ暗だった。 懐中電灯を照らすと、壁には古い絵や人形が並んでいた。 その中に、一枚だけ妙な絵があった。 白いドレスを着た少女が描かれている。 少女は笑っていた。 だが、よく見ると―― 目だけが描かれていなかった。 「気味悪いな」 そう言って先へ進もうとした瞬間。 背後から、 カタン…… という音がした。 振り返る。 誰もいない。 ところが、さっきまで壁に掛かっていた少女の絵が消えていた。 「……あれ?」 友人と顔を見合わせる。 その直後、建物の奥から子どもの声が聞こえた。 「……こっちだよ」 二人とも動けなくなった。 声は明らかに、誰かを呼んでいる。 「こっちだよ……」 今度は、すぐ後ろから聞こえた。 慌てて外へ走った。 入口まで戻ったところで、友人が立ち止まった。 「待って……」 彼が指差した先。 建物の奥にある暗い廊下に、少女が立っていた。 白いドレス。 長い髪。 そして―― 顔には目がない。 少女はゆっくり手を上げると、こちらを指差した。 「アリス……」 小さな声が響いた。 「アリスを探して……」 二人は夢中で外へ逃げた。 車に乗り込み、山道を下った。 しばらくして、友人がスマートフォンを取り出した。 「さっきの写真、撮れてるかな」 画面を見る。 そこには、建物の写真が一枚だけ残っていた。 しかし、二人は気づいていなかった。 写真の窓の一つに―― 白いドレスの少女が立っている。 そして、その少女の顔には、 今度はちゃんと目が描かれていた。 少女は写真のこちら側を見つめていた。 その目は、 二人が車の中で写真を見ていることを知っているかのように、 じっとこちらを見ていた。 その夜から、友人の家では毎晩、 誰もいない部屋から子どもの声が聞こえるようになったという。 「……こっちだよ」 そして最後に、必ずこう続く。 「アリスのくにへ、帰ろうよ」

ホテル松園 ――「下から聞こえる足音」

浅虫温泉の海沿いに、かつて一軒の大きなホテルが建っていた。 その名は――ホテル松園。 かつては多くの観光客が訪れ、温泉を楽しみ、窓から見える海を眺めながら夜を過ごした場所だった。 しかし、時が流れ、ホテルは閉館。 人の声が消えた建物は、少しずつ自然に飲み込まれていった。 割れた窓。 錆びついた階段。 壁に残された落書き。 そして、誰も使わなくなった客室。 いつしかホテル松園は、地元で「近づかないほうがいい場所」と囁かれるようになっていた。 ある夏の夜。 二人の若者が、ホテルの近くまでやって来た。 「本当に何か出るのかな?」 「さあ。でも、かなり怖いって話だぞ」 二人は建物の外から中を覗いた。 暗闇の向こうには、かつて客室だった部屋が並んでいる。 風が吹くたびに、割れた窓ガラスがかすかに鳴った。 そのときだった。 ――コン。 建物の中から、小さな音がした。 「……今の聞いた?」 二人は顔を見合わせた。 しばらく待つ。 何も起こらない。 「たぶん風だろ」 そう言って、一人が笑った。 ところが―― ――コン。 今度は、はっきり聞こえた。 まるで誰かが、階段を下りているような音だった。 二人は急に黙り込んだ。 音は止まらない。 ――コン。 ――コン。 ――コン。 少しずつ、近づいてくる。 「……誰かいるのか?」 返事はない。 ただ、建物の奥から、 ――ギィ…… 古い扉が開くような音がした。 二人は怖くなり、その場を離れようとした。 その瞬間。 ホテルの二階。 暗い窓の一つに―― 人影が立っていた。 黒い影だった。 じっとこちらを見ている。 「……人?」 二人が目を凝らした。 すると人影は、ゆっくりと窓から消えた。 「逃げよう!」 二人は走って車へ戻った。 エンジンをかけ、ホテルから離れようとした、そのとき。 車の中で突然、 ――ドン。 後部座席の窓が叩かれた。 二人は振り返った。 誰もいない。 「……今、叩いたよな?」 「……うん」 車を急発進させた。 その夜。 二人はホテルのことを何度も話した。 だが、一人だけ気になっていることがあった。 ホテルを離れる直前。 窓に立っていた人影。 あれは―― 二階にいたはずだった。 ところが、車の後ろから窓を叩いた音がしたのは、 一階だった。 そして翌朝。 撮影していたスマートフォンの映像を確認すると、さらに奇妙なことが分かった。 二階...

青森のワンダーランド――帰れない遊園地

青森県の山あいに、かつて「ワンダーランド」と呼ばれた場所があった。 今では人の気配もなく、古びた建物だけが残っている。 地元では昔から、こんな噂があった。 「夜になると、誰もいないはずの遊園地から音楽が聞こえる」 ある夏の夜、二人の若者がその場所を訪れた。 「本当に何か出るのかな」 懐中電灯を片手に、暗い敷地へ入っていく。 錆びた遊具。 割れた窓。 雑草に覆われた道。 そして奥には、古い観覧車が立っていた。 風もないのに、ゆっくりと一つのゴンドラが揺れている。 その瞬間―― ♪ポロン……ポロン…… どこからか、古い遊園地の音楽が流れ始めた。 「……今、聞こえた?」 二人が顔を見合わせる。 すると、暗闇の中から、 「次のお客様……どうぞ……」 という女の声がした。 声のした方向を見ると、そこには古びたチケット売り場があった。 窓は割れている。 当然、中には誰もいない。 しかし机の上には、一枚のチケットが置かれていた。 チケットには、こう書かれていた。 「ワンダーランド 一名様」 二人は怖くなり、急いで入口へ戻ろうとした。 ところが―― 来たはずの道がない。 何度歩いても、同じ観覧車の前に戻ってきてしまう。 そして、さっきまで止まっていた遊具が次々に動き始めた。 メリーゴーラウンドが回る。 空っぽのコーヒーカップが回る。 誰もいないゲームコーナーから、景品が落ちる音がする。 カラン……。 カラン……。 そのとき、一人が気づいた。 観覧車のゴンドラに、人影が座っている。 「……あれ、誰?」 懐中電灯を向ける。 そこに座っていたのは、白い服を着た女だった。 女はゆっくり顔を上げた。 そして―― こちらに向かって手を振った。 二人は悲鳴を上げ、無我夢中で走った。 すると突然、目の前に入口の門が現れた。 「出口だ!」 二人は外へ飛び出した。 振り返る。 そこには、ただ暗い森があるだけだった。 翌朝。 二人は昨夜の出来事を誰にも信じてもらえなかった。 しかし、撮影していたカメラを確認すると、最後の数分間だけ映像が残っていた。 暗い遊園地。 回り続ける観覧車。 そして最後の一枚。 観覧車のゴンドラの中に、女が座っている。 その女は、カメラを見ながら笑っていた。 さらに映像の最後には、小さな声が録音されていた。 「……次は、ひとりで来てね」 それ以来、二人は二度とその場所へ近づかなか...

三内霊園――夜の墓地で聞こえる足音

青森市にある三内霊園。 昼間は静かで、木々に囲まれた広い墓地に、墓石が整然と並んでいる。 けれど、地元では昔から、夜の霊園について奇妙な噂があった。 「夜中に霊園を歩いていると、自分の後ろから足音が聞こえてくる」 ただし、その足音には一つだけ変なところがある。 どれだけ立ち止まっても、足音だけは近づいてくるというのだ。 ある夏の夜、一人の若者が友人たちと肝試しに訪れた。 時計は午前一時を回っていた。 車を降り、懐中電灯を片手に墓地の中へ入っていく。 「本当に何もないな」 そう言って笑った直後だった。 ――ザッ。 背後から、砂利を踏む音がした。 全員が振り返る。 しかし、そこには誰もいない。 「風じゃない?」 そう言って再び歩き始める。 すると、 ――ザッ……ザッ……。 今度ははっきりと、複数の足音が聞こえた。 しかも、こちらの歩く速度に合わせるように、後ろからついてくる。 若者たちは急に無口になった。 そして、一人が冗談半分に言った。 「じゃあ、止まってみようぜ」 全員が立ち止まる。 静寂。 虫の声しか聞こえない。 ところが―― ――ザッ。 一歩。 ――ザッ。 また一歩。 足音だけが近づいてくる。 「……走ろう」 誰かが小さく呟いた。 その瞬間、全員が一斉に走り出した。 背後から、 ――ザッ、ザッ、ザッ、ザッ……。 足音も速度を上げる。 振り返ることはできなかった。 やがて出口が見え、車のところまでたどり着いた。 全員が慌てて車に乗り込み、エンジンをかける。 そして、ようやく一人が後部座席を確認した。 「……おい」 声が震えていた。 「何?」 「さっき……俺たち、四人だったよな?」 車内が凍りついた。 後部座席には、誰もいない。 だが、座席の中央だけが異様に濡れていた。 そしてフロントガラスには、内側から指でなぞったような文字が残っていた。 「まだ帰らないで」 その後、若者たちは二度と三内霊園へ行かなかった。 しかし、彼らのうち一人だけは、しばらくしてから奇妙なことを言い始めた。 夜、自宅の部屋で眠っていると、 ――ザッ……ザッ……。 どこからともなく、砂利を踏む音が聞こえる。 最初は遠い。 けれど毎晩、少しずつ近づいてくる。 そしてある夜。 足音は、とうとうベッドのすぐ横で止まった。 その瞬間、耳元で小さな声がした。 「次は、ひとりで来てね」 翌朝、彼の部屋の床に...

旧久栗坂トンネル――「後ろから聞こえる足音」

深夜、車で青森市内から海沿いの道を走っていた。 友人から聞いた話を思い出し、私は旧久栗坂トンネルの近くまで来ていた。 「ここ、夜はやめたほうがいいらしいぞ」 助手席の友人が、冗談半分に言った。 私は笑いながら車を止めた。 トンネルの入口は暗く、周囲には人の気配がまったくない。 懐中電灯を持ち、二人で中へ入る。 数十メートル進んだところで、 ――コツ。 後ろから、足音が聞こえた。 「今の、俺たちの音じゃないよな?」 二人とも立ち止まる。 すると、 ――コツ……コツ……コツ…… 確かに、誰かがこちらへ歩いてくる。 振り返っても、誰もいない。 「風じゃないか?」 そう言って先へ進もうとした瞬間、足音が止まった。 そして今度は、 ――コツ。 すぐ後ろで鳴った。 二人で振り返る。 何もいない。 だが、懐中電灯の光が照らした壁には、妙なものがあった。 濡れたような、人間の手形。 しかも一つではない。 壁の両側に、何十個もの手形が続いていた。 「……帰ろう」 友人が小さな声で言った。 来た道を戻り始める。 ところが、出口が見えてこない。 さっきまで数分で歩けたはずの道が、異様に長く感じられる。 そのときだった。 前方から、 ――コツ……コツ……コツ…… 足音が聞こえた。 「誰かいる!」 私は叫んだ。 しかし友人は青ざめていた。 「違う……」 「何が?」 友人は震える手で、私の後ろを指差した。 「足音……前からじゃない」 耳を澄ます。 確かに足音は前から聞こえている。 だが同時に―― 後ろからも聞こえていた。 ――コツ……コツ……コツ…… 前から。 ――コツ……コツ……コツ…… 後ろから。 挟まれている。 逃げようとした瞬間、友人が突然立ち止まった。 「……聞こえた」 「何が?」 友人は振り返らずに答えた。 「耳元で……『やっと来た』って」 私は何も聞いていない。 そう言おうとした。 その瞬間―― 耳元で、女の声がした。 「……やっと来た」 二人は同時に走り出した。 出口の明かりが見えた。 必死に外へ飛び出し、車まで走る。 そして車に乗り込んだ瞬間、友人が叫んだ。 「待って!」 「何?」 「人数……」 友人は後部座席を見つめていた。 「俺たち、二人だったよな?」 私はゆっくりバックミラーを見た。 暗い後部座席。 誰もいない。 ……はずだった。 しかし鏡の隅にだけ、白い顔が映っていた...

月光の滝――夜の滝壺から聞こえる声

夏の終わり、男は一人で月光の滝を訪れた。 昼間は観光客もいる場所だったが、夜になると辺りは驚くほど静かだった。 懐中電灯を頼りに滝へ近づくと、木々の隙間から月明かりが差し込み、白い滝がぼんやりと浮かんでいた。 「きれいだな……」 そう呟いた瞬間だった。 滝の音に混じって、どこからか小さな声が聞こえた。 「……ねえ」 男は振り返った。 誰もいない。 気のせいだと思い、滝へ向き直る。 すると、また聞こえた。 「……こっち」 今度は、はっきり聞こえた。 声は滝壺の方からだった。 男がライトを向けると、黒い水面の中央に、何か白いものが浮かんでいる。 最初は木の枝だと思った。 しかし、それはゆっくりと水の中へ沈んだ。 その直後―― 「助けて……」 女の声がした。 男は怖くなり、後ずさった。 すると突然、滝の音が止まった。 完全な静寂。 そして暗闇の中から、 「……見つけた」 という声が聞こえた。 男が振り返る。 そこには、濡れた長い髪を垂らした女が立っていた。 顔は髪に隠れて見えない。 服からは水が滴り落ち、足元には小さな水溜まりができている。 男が悲鳴を上げて逃げ出そうとした瞬間、女がゆっくり顔を上げた。 その顔を見た男は、その場で動けなくなった。 女の顔には―― 目がなかった。 翌朝。 滝の近くには男の懐中電灯だけが落ちていた。 男の姿は、どこにもなかった。 そして、それ以来、夜に月光の滝を訪れた人の中には、 「滝の音に混じって、誰かが自分の名前を呼んでいる」 という声を聞く者がいるという。 不思議なのは、その声が必ず、 「こっちに来て」 と続くことだった。 そして、声に誘われて滝壺へ近づいた人は―― 二度と戻ってこない。 月明かりが滝を照らす夜。 今でも滝の奥から、誰かを呼ぶ声が聞こえるという。 「……ねえ」 「……こっち」

城ヶ倉大橋 ―― 橋の下から呼ぶ声

青森の山奥にある城ヶ倉大橋。 深い谷をまたぐように架かるその橋は、昼間に訪れれば美しい景色を楽しめる場所だった。 しかし、地元では昔から、こんな噂が囁かれていた。 「夜の橋では、下から声が聞こえることがある」 ある秋の夜、男は友人と二人で城ヶ倉大橋を訪れた。 時刻は午後11時を過ぎていた。 車を橋の近くに停め、二人で歩道へ出る。 周囲には街灯があるものの、谷底まではほとんど見えない。 風が吹くたび、木々がざわざわと音を立てていた。 「さすがに夜は怖いな」 友人が笑った。 そのときだった。 橋の下から、 「……おーい」 小さな声が聞こえた。 二人は同時に立ち止まった。 「今、聞こえた?」 「……聞こえた」 谷底から誰かが呼んでいるようだった。 しかし、こんな時間に、あの深い谷の中に人がいるとは思えない。 男が橋の下を覗き込もうとした瞬間―― 「おーい……」 今度は、はっきり聞こえた。 しかも先ほどより近い。 友人が青ざめた。 「……もう行こう」 二人は急いで車へ戻ろうとした。 ところが、数歩歩いたところで男は気づいた。 友人がいない。 「おい?」 振り返る。 橋の中央に、友人が立っていた。 そして、手すりの向こう側をじっと見つめている。 「何してるんだよ!」 男が駆け寄る。 友人はゆっくり振り返った。 その顔からは、血の気が完全に消えていた。 「……下にいる」 「何が?」 友人は震える指で谷底を指差した。 「俺たちを見てる」 男も恐る恐る下を見た。 当然、何も見えない。 ただ、真っ暗な谷が広がっているだけだった。 「何もいないだろ」 そう言って友人の肩を掴んだ、その瞬間。 橋の下から、 「……二人とも……」 声がした。 男は凍りついた。 なぜなら、その声は―― 自分自身の声だった。 「……こっちにおいで」 谷底から、自分とまったく同じ声が響いてくる。 友人が叫んだ。 「走れ!」 二人は振り返り、一目散に車へ向かった。 エンジンをかけ、橋を離れる。 しばらくして男がバックミラーを見ると、橋が遠ざかっていく。 そのときだった。 後部座席から、 「……おーい」 声がした。 男は急ブレーキを踏んだ。 友人も振り返る。 しかし、後部座席には誰もいない。 二人は何も言えなくなった。 そして翌朝。 男が昨夜のことを思い出しながらスマートフォンを確認すると、奇妙な録音データが残ってい...

八甲田山――雪の中で手招きするもの

「……誰か、そこにいるのか?」 雪原に、一人の兵士の声が響いた。 しかし、返事はない。 あるのは、猛烈な吹雪の音だけだった。 明治時代、八甲田山では陸軍の雪中行軍隊が、想像を絶する吹雪に襲われた。 視界は数メートル先も見えない。 寒さで手足の感覚は失われ、仲間の姿さえ見失っていく。 それでも兵士たちは、必死に山中を進んでいた。 「隊長! あそこに人がいます!」 一人の兵士が叫んだ。 吹雪の向こう。 白い霧のような雪の中に、確かに人影が立っていた。 しかも、その人影は手を上げている。 まるで、 「こっちへ来い」 と手招きしているようだった。 隊長は目を凝らした。 だが、次の瞬間―― 「待て!」 隊長が叫んだ。 人影の足元がおかしい。 雪の上に、足跡がない。 そして、人影はゆっくりとこちらへ近づいてくるのではなく、 吹雪の中を滑るようにして移動していた。 「人間じゃない……」 誰かが呟いた。 その瞬間、吹雪が一段と激しくなった。 人影は消えた。 兵士たちは恐怖に震えながら、黙って歩き続けた。 しばらくすると、後方から声が聞こえた。 「おーい……」 仲間の声だった。 「待ってくれ……」 兵士の一人が振り返ろうとした。 しかし、隣にいた兵士が腕を掴んだ。 「振り返るな!」 「でも、今の声は……」 「俺たちの後ろには、誰もいない」 全員が凍りついた。 確かに、後ろには誰もいない。 それなのに、声だけがする。 「おーい……」 今度は、すぐ耳元から聞こえた。 兵士たちは走り出した。 しかし雪に足を取られ、次々と倒れていく。 その夜。 生き残った兵士の一人が、雪の中で奇妙なものを見たという。 白い雪原の向こうに、大勢の兵士が立っていた。 全員、こちらを向いている。 そして、一斉に手を上げた。 「こっちへ来い」 そう言っているようだった。 兵士は必死に目を閉じた。 やがて吹雪が収まり、恐る恐る目を開ける。 そこには誰もいなかった。 ただ、雪の上には無数の足跡が残されていた。 ――自分の周囲を、ぐるりと囲むように。 それから年月が過ぎた。 八甲田山では、今でも「吹雪の中で人影を見た」「誰もいない場所から兵隊の声が聞こえた」という怪談が語られている。 そして登山者の間では、こんな言葉も囁かれる。 「八甲田で、雪の中から誰かに手招きされても、絶対について行ってはいけない」 なぜなら―― そ...

野内病院――青いバスの前に立つ少女

「ここ、本当に病院だったのかな?」 深夜二時。 青森市の旧道を車で走っていた俺たちは、木々に覆われた細い道の前で車を止めた。 目的地は、地元で「野内病院」と呼ばれている廃墟。 ただ、妙なことに正式な名前は分かっていない。 病院だったという噂はある。 けれど、何の施設だったのか、いつ閉鎖されたのか――詳しいことはほとんど知られていない。 それでも、この場所には昔から奇妙な噂があった。 「少女が出る」 そしてもう一つ。 「入口の青いバスには、絶対に近づくな」 俺たちは半分面白半分で、懐中電灯を手に茂みの中へ入っていった。 数分ほど歩いたところで、突然、木々の隙間から建物が現れた。 二階建ての古い建物。 窓は暗く、壁はところどころ崩れている。 そして、その入口の前に―― 青いバスがあった。 「うわ……」 誰かが小さく声を漏らした。 長い年月、そこに放置されていたのだろう。 車体は錆び、窓は割れ、タイヤも朽ちている。 なのに、なぜか俺には、そのバスがこちらを見ているように感じられた。 「……中、見てみる?」 そう言った瞬間だった。 カン…… バスの中から音がした。 俺たちは全員、黙った。 もう一度。 カン…… 今度は、はっきり聞こえた。 「誰かいる?」 返事はない。 俺が一歩近づこうとすると、友人が腕をつかんだ。 「やめとけ」 「なんで?」 「……今、窓に誰かいた」 俺は反射的にバスを見る。 何もいない。 ただ、割れた窓ガラスに、俺たちの姿が映っているだけだった。 「見間違いだろ」 そう言って笑った。 そのまま俺たちは建物の中へ入った。 内部は異様なほど静かだった。 足音だけが、コツ……コツ……と廊下に響く。 一階を進み、階段を上る。 そのときだった。 上の階から、 「……コツ」 音がした。 誰かが歩いている。 俺たちは顔を見合わせた。 「お前じゃないよな?」 「俺はここにいる」 「じゃあ……誰?」 コツ…… また聞こえた。 今度は、階段を下りてくるような音だった。 コツ…… コツ…… コツ…… 音が近づいてくる。 俺たちは息を殺して待った。 しかし、誰も降りてこない。 音だけが消えた。 そして突然―― 「……ねえ」 女の子の声がした。 すぐ後ろから。 俺たちは一斉に振り返った。 誰もいない。 「今、聞こえたよな?」 誰も答えない。 その瞬間、先頭にいた友人が懐中電灯を床に...

杉沢村――地図から消えた村

深夜、友人から一本の電話がかかってきた。 「杉沢村って知ってるか?」 その名前を聞いた瞬間、なぜか背筋が冷たくなった。 杉沢村。 青森県の山奥に存在していたとされる、地図から消えた村。 村人が突然姿を消し、最後には誰も近づかなくなった――。 そんな噂だけが、今もインターネットや怪談話の中で語り継がれている。 「面白そうじゃん。行ってみようぜ」 友人は笑っていた。 その日の夜、俺たちは車で山道へ向かった。 街灯はすぐになくなり、窓の外は真っ暗になった。 カーナビを見ると、目的地まであと数キロ。 しかし、その先には道が表示されていなかった。 「おかしくないか?」 そう言った瞬間、カーナビの画面が突然消えた。 車を止めると、遠くから―― 「カン……カン……」 金属を叩くような音が聞こえてきた。 山の中には、俺たち以外誰もいないはずだった。 それでも音は少しずつ近づいてくる。 やがて木々の向こうに、古びた鳥居が見えた。 鳥居の先には、一本の細い道が続いている。 友人が車を降りた。 「ちょっとだけ見てくる」 俺は止めた。 だが友人は笑いながら鳥居の向こうへ消えていった。 数分後。 突然、携帯電話が鳴った。 友人からだった。 「もしもし?」 返事はない。 ただ、電話の向こうから荒い息遣いが聞こえていた。 そして、小さな声がした。 「……来るな」 「どうした?」 「ここ……人がいる」 その瞬間、電話が切れた。 俺は車の中で待ち続けた。 十分。 二十分。 一時間。 友人は戻ってこなかった。 怖くなった俺は、車を走らせて山を下りることにした。 ところが―― 何度走っても、同じ場所に戻ってしまう。 さっきの鳥居。 そして、その横に立つ古い看板。 看板には、かすれた文字でこう書かれていた。 「杉沢村」 俺はアクセルを踏み込んだ。 その瞬間、後部座席から声がした。 「……どこ行くの?」 友人だった。 「お前……いつ戻ってきたんだ?」 振り返ることができなかった。 友人は何も答えない。 ただ、後ろからずっと笑っている。 そして、しばらくすると、 「俺さ……さっき村の中で、お前を見たんだよ」 そう言った。 「……俺を?」 「うん。お前が村の奥に立ってた」 俺は何も言えなかった。 すると友人が続けた。 「でもな……」 「そのお前、首がなかった」 車内が静まり返った。 その瞬間、フロントガラスの向...