多布施踏切高架下――そこにいるはずのない人
佐賀市内にある多布施踏切。 昼間は車や人の往来も多く、特別に不気味な場所には見えない。 しかし、夜になると高架下の一角だけ、妙に空気が重く感じられることがあるという。 これは、ある男性が深夜にこの場所を通ったときの話だ。 その男性は仕事帰り、いつものように車を運転していた。 時刻は午前一時を少し過ぎた頃だった。 人通りはほとんどなく、街灯の明かりもまばらだった。 多布施踏切の近くまで来たところで、信号が赤になった。 男性は車を止め、何気なく高架下の暗がりを見た。 すると、そこに一人の男が立っていた。 黒っぽい服を着て、こちらに背を向けている。 こんな時間に何をしているのだろう。 そう思ったものの、男性は気にしなかった。 ところが、信号が青になって車を発進させた瞬間だった。 ルームミラーに、その男の姿が映った。 さっきまで高架下に立っていたはずなのに、男は車のすぐ後ろに立っていた。 男性は驚いてブレーキを踏んだ。 だが、後ろには誰もいない。 「見間違いか……」 そう呟いて、再び車を走らせた。 それから数分後。 赤信号で止まったとき、後部座席から、 「コン……」 と、小さな音がした。 男性は振り返った。 誰もいない。 また、 「コン……コン……」 今度は明らかに、車の内側から聞こえた。 まるで誰かが、後部座席の窓を指で叩いているようだった。 男性は恐ろしくなり、車を路肩に止めた。 そして後部座席を確認した。 もちろん、誰もいない。 だが、座席の中央には、見覚えのない黒い泥のようなものが付いていた。 その瞬間、車内の空気が急に冷たくなった。 そして、耳元で小さな声がした。 「……まだ、いるよ」 男性は反射的に車から飛び出した。 道路脇に立って、震えながら車内を見る。 すると―― 後部座席の窓に、内側から手形がいくつも浮かび上がっていた。 一つ。 二つ。 三つ。 まるで車の中に何人もの人間がいて、外へ出ようとしているようだった。 男性は車に乗り込むことができず、その場から離れた。 翌朝、明るくなってから車を確認すると、手形はすべて消えていた。 ただ一つだけ、運転席の窓に残っていたものがあった。 それは、黒い指で書かれたような文字だった。 ――「ここじゃない」 男性には、その意味が分からなかった。 しかし数日後。 再び多布施踏切の近くを通ったとき、高架下に設置された柵の向こう...