投稿

ラベル(東京都)が付いた投稿を表示しています

新宿御苑――閉園後のベンチ

東京・新宿。 高層ビルが立ち並ぶ街の中心に、広い緑に囲まれた場所がある。 新宿御苑。 昼間は多くの人が訪れ、家族連れや観光客が行き交う穏やかな場所だ。 しかし、閉園時間を過ぎると、その雰囲気は一変するという。 これは、以前この近くで働いていた男性から聞いた話だ。 ある秋の夕方、男性は仕事を終えたあと、新宿御苑の近くを歩いていた。 時計を見ると、すでに閉園時間を少し過ぎていた。 そのときだった。 御苑の中にあるベンチに、一人の女性が座っているのが見えた。 白っぽい服を着て、うつむいたまま動かない。 「まだ人がいるんだ……」 男性はそう思った。 しかし、妙なことに気づいた。 女性の周囲には誰もいない。 そして、閉園後だというのに、なぜか女性だけがそこに残っていた。 男性がそのまま通り過ぎようとした瞬間―― 女性が顔を上げた。 目が合った。 だが、女性は何も言わない。 ただ、男性のほうをじっと見つめている。 その表情があまりにも無表情だったため、男性は急に怖くなり、その場を離れた。 数十メートルほど歩いたところで、後ろから声が聞こえた。 「すみません……」 男性が振り返る。 誰もいない。 気のせいだと思い、そのまま歩き続けた。 すると今度は、すぐ耳元で―― 「ベンチ……」 と、女の声がした。 男性は思わず走り出した。 翌日。 怖かったものの、昨夜のことが気になった男性は、同じ場所を昼間に通ってみた。 昨夜、女性が座っていたベンチを見る。 当然、誰もいない。 だが、ベンチの座面には、濡れた跡が残っていた。 雨は降っていなかった。 しかも、その濡れた跡は、人が一人座っていたような形をしていた。 男性は気味が悪くなり、その場を離れた。 それからしばらくして、男性は御苑の近くで働いている知人に、この話をした。 すると知人は、少し黙ったあと、 「夜の御苑で、ベンチに座っている人を見ても……声をかけないほうがいいよ」 そう言った。 理由を聞いても、知人は答えなかった。 ただ最後に、 「もし向こうから声をかけられても、絶対に振り返らないこと」 そう忠告したという。 それ以来、男性は閉園後の新宿御苑を通ることはなくなった。 そして今でも、あのベンチの近くを通るときだけは、無意識に歩く速度が速くなるという。 都会の真ん中に広がる、静かな森。 昼間には多くの人が行き交うその場所も、日が落ちれ...

洗足池公園――水面に立つ女

東京・大田区にある洗足池公園。 昼間は多くの人が訪れる穏やかな公園だが、日が落ちると池の周囲は急に静かになる。 これは、ある男性が夜の洗足池公園を訪れたときの話だ。 その男性は、仕事帰りに公園の近くを通った。 時計を見ると、夜の十一時を過ぎていた。 「少し歩いてから帰るか」 そう思い、池の周りを歩き始めた。 街灯はあるものの、場所によっては暗く、池の水面はほとんど何も映していない。 しばらく歩いていると、池の向こう側に人影が見えた。 白っぽい服を着た女だった。 こんな時間に一人でいることを不思議に思ったが、男性は気にせず歩き続けた。 ところが、少し進んでから振り返ると―― 女の姿が消えていた。 「帰ったのかな……」 そう思って前を向いた瞬間だった。 池の水面に、何かが立っている。 よく見ると、先ほどの女だった。 しかし、おかしい。 女は池の中にいる。 しかも、足元まで水に浸かっているはずなのに、沈むことなく水面の上に立っていた。 男性は思わず立ち止まった。 女はじっとこちらを見ている。 顔は暗くてよく見えない。 そのとき―― 女がゆっくりと手を上げた。 まるで「こっちへ来て」と呼んでいるようだった。 男性は怖くなり、その場を離れようとした。 しかし、足が動かない。 池のほうから、かすかな声が聞こえてきた。 「……見つけた」 男性は息を呑んだ。 声がしたのは、池の向こうではなかった。 すぐ後ろだった。 振り返ることができなかった。 ただ、背後から水の滴る音だけが聞こえていた。 ぽた…… ぽた…… ぽた…… やがて、その音がすぐ耳元まで近づいてきた。 「……あなたも、池を見ていたでしょう?」 男性は恐怖に耐えながら、思い切って振り返った。 そこには誰もいなかった。 ただ、地面には濡れた足跡が残っていた。 池から伸びるように続く、裸足の足跡。 そして、その足跡は男性のすぐ目の前で途切れていた。 翌日。 男性が昨夜の場所を通ると、池の水面は何事もなかったように静かだった。 だが、池を覗き込んだ瞬間、男性は凍りついた。 水面に映っていたのは、自分の姿だけではなかった。 自分のすぐ後ろに―― 白い服の女が立っていた。 慌てて振り返る。 やはり誰もいない。 もう一度水面を見る。 女も消えている。 ただ、その水面には奇妙なものが映っていた。 自分の足元から池へ向かって、濡れた足跡が...

染井霊園――墓地の奥から聞こえる声

夜の染井霊園は、昼間とはまるで違う顔を見せる。 昼間なら墓参りの人や近所を歩く人の姿もあるが、日が落ちると、墓石の並ぶ道は急に静まり返る。 ある男性が、仕事帰りに霊園の近くを通ったときのことだった。 その日は少し帰りが遅くなり、駅へ向かう近道として、霊園の脇を歩いていた。 時刻は午後十時を過ぎていた。 街灯の明かりが届かない場所では、墓石が暗闇の中にぼんやりと浮かんでいる。 そのときだった。 「……すみません」 背後から、女性の声がした。 男性は足を止めた。 振り返る。 しかし、誰もいない。 気のせいだと思い、そのまま歩き始めた。 すると―― 「……すみません」 今度は、さっきより近い。 男性は振り返らなかった。 足早に歩きながら、イヤホンを外す。 すると、周囲には風の音すらほとんどなかった。 それなのに、背後から誰かが歩いてくるような音だけが聞こえる。 コツ……。 コツ……。 コツ……。 墓地の中を、硬い靴で歩いているような音だった。 男性は怖くなり、早足になった。 すると背後の足音も速くなる。 コツ、コツ、コツ――。 そして突然、耳元で声がした。 「どうして、置いていくの?」 男性は思わず振り返った。 そこには、白い服を着た女性が立っていた。 顔は暗くてよく見えない。 ただ、女性の足元だけが妙に気になった。 地面に、影がない。 男性は声を出すこともできず、その場から走り出した。 霊園を抜け、明るい道路まで出ても、背後を見ることはできなかった。 その後、男性は二度と夜の染井霊園の近くを通らなくなった。 しかし数日後。 スマートフォンに、身に覚えのない写真が一枚保存されていることに気づいた。 撮影時刻は、あの夜。 写真には、暗い墓地の道が写っていた。 そして画面の一番奥。 街灯の届かない場所に、白い服の女性が立っていた。 男性は写真を消そうとした。 ところが、写真を開くたびに、女性との距離が少しずつ近くなっていた。 最初は墓地の奥。 次は道の中央。 その次は―― 男性のすぐ後ろ。 そして最後の写真には、女性の顔がはっきりと写っていた。 女性は笑っていた。 その口元には、こう書かれていた。 「今度は、置いていかないで」 それ以来、男性のスマートフォンには、夜になると決まって知らない番号から着信が入るようになった。 電話に出ることはない。 ただ、留守番電話には毎回同じ声...

雑司ヶ谷霊園――振り返ってはいけない足音

東京の豊島区。 住宅街の中に、古い木々に囲まれた広大な墓地がある。 雑司ヶ谷霊園。 昼間は静かな散歩道にも見える場所だが、日が落ちると空気が変わる。 これは、ある男性が体験したという話をもとにした怪談である。 その男性が雑司ヶ谷霊園を訪れたのは、秋の終わりだった。 時刻は夜の十一時を少し過ぎていた。 「別に肝試しをするつもりじゃなかったんです」 そう彼は言った。 ただ、仕事帰りに近くを通ったので、以前から気になっていた霊園を少し歩いてみようと思っただけだった。 園内に入ると、街の音が急に遠くなった。 車の音も、人の話し声も聞こえない。 聞こえるのは、自分の靴音だけ。 コツ……コツ……。 古い木々の間を歩いていると、後ろから小さな音が聞こえた。 コツ。 「誰かいるのかな」 振り返った。 しかし、誰もいない。 街灯の下には、長く伸びた自分の影だけがあった。 気のせいだと思い、そのまま歩き続けた。 すると―― コツ……コツ……。 また聞こえた。 今度は、さっきより近い。 男性は立ち止まった。 すると、足音も止まった。 歩けば聞こえる。 止まれば止まる。 まるで、誰かが後ろから同じ歩幅でついてきているようだった。 「ちょっと怖くなりました」 それでも、男性は振り返らなかった。 そのまま霊園の奥へ進んでいく。 すると突然―― 背後から、女の声がした。 「……待って」 男性の足が止まった。 声は、すぐ後ろだった。 振り返ろうとした瞬間、なぜか強烈な寒気がした。 そして、頭の中に妙な言葉が浮かんだ。 振り返ってはいけない。 理由は分からない。 それでも男性は、前だけを見て歩いた。 コツ……。 コツ……。 コツ……。 背後の足音は、どんどん近づいてくる。 そして耳元で―― 「……ねえ」 女の声がした。 男性は走り出した。 墓石の間を抜け、出口だけを目指した。 後ろからは、複数の足音が追いかけてくる。 一人ではない。 二人。 三人。 いや、それ以上。 コツ、コツ、コツ、コツ……。 まるで大勢の人間が、男性の後ろを歩いている。 それでも絶対に振り返らなかった。 ようやく出口が見えた。 男性は霊園の外へ飛び出した。 その瞬間―― 足音が消えた。 静寂が戻った。 男性は荒い息を吐きながら、恐る恐る後ろを見た。 誰もいない。 ただ、暗い霊園の奥に一本の古い木が立っているだけだった。 「気のせ...

谷中霊園――振り返ってはいけない墓道

東京・谷中。 古い寺や墓地が立ち並ぶこの街には、昼間でもどこか静かな空気が漂っている。 その中でも、ひときわ広い墓域を持つ谷中霊園には、昔から奇妙な噂があった。 「夜の墓道で、後ろから名前を呼ばれても絶対に振り返るな」 そんな話だった。 ある男性が、仕事帰りに谷中霊園の近くを歩いていた。 時刻は夜の十一時を過ぎていた。 普段なら大通りを通るのだが、その日は近道をしようと思い、霊園の脇を通る細い道へ入った。 周囲には街灯がある。 それなのに、妙に暗く感じた。 風もない。 虫の声さえ聞こえない。 男性は少し早足になった。 その時だった。 「……すみません」 後ろから、小さな声が聞こえた。 男性は足を止めた。 誰かいるのかと思ったが、振り返らなかった。 すると、もう一度。 「……すみません」 今度は、さっきより近い。 男性は怖くなり、そのまま歩き続けた。 すると今度は―― 「ねえ」 耳元で囁かれたように聞こえた。 男性は思わず振り返った。 しかし、そこには誰もいなかった。 ただ、暗い墓道が続いているだけだった。 ほっとして前を向いた瞬間、男性は異変に気づいた。 自分が歩いてきたはずの道が、なぜか見覚えのない場所になっていた。 左右には墓石が並んでいる。 そして、その中に一つだけ妙な墓があった。 古びた墓石の前に、白い花が置かれている。 男性が近づくと、墓石に刻まれた文字が目に入った。 そこには―― 自分の名前が刻まれていた。 男性は息を呑んだ。 「……なんで?」 その瞬間。 背後から、また声がした。 今度は、はっきりと自分の名前だった。 「……〇〇さん」 男性は必死に振り返るのをこらえた。 すると、背後から足音が聞こえ始めた。 一歩。 また一歩。 ゆっくりと近づいてくる。 男性は目を閉じ、走り出した。 何度も転びそうになりながら墓道を抜け、ようやく大通りへ出た。 振り返ると、そこには霊園の入口が見えていた。 男性はその場に座り込み、荒い息を整えた。 そして、ポケットの中に違和感を覚えた。 何かが入っている。 取り出してみると、それは一枚の白い紙だった。 紙には、赤い文字でこう書かれていた。 「次は、振り返ってね」 男性は二度と、夜の谷中霊園へ近づかなかったという。 そして後日。 男性が昼間にその場所を訪れ、あの墓を探してみた。 しかし―― そこには、自分の名前が刻まれた墓...

青山霊園――墓地の奥から聞こえる足音

東京の中心部にありながら、夜になると驚くほど静かになる場所がある。 青山霊園。 昼間は墓参りをする人や、周辺を歩く人の姿もある。 しかし、日が落ちてしばらくすると、広い墓地の中には独特の空気が漂い始めるという。 これは、ある男性が青山霊園を訪れたときの話だ。 男性は仕事帰り、近道をするため霊園の脇を歩いていた。 時計を見ると、午後11時を少し過ぎていた。 街灯はあるものの、墓地の奥は暗い。 すると突然、 「……コツ」 背後から、小さな足音が聞こえた。 振り返る。 誰もいない。 気のせいだと思い、そのまま歩き続けた。 ところが、 「コツ……コツ……」 今度は、はっきり聞こえる。 しかも足音は、男性の歩く速度に合わせるようについてくる。 立ち止まると、足音も止まった。 男性が再び歩き出す。 すると、また―― 「コツ……コツ……」 背後から近づいてくる。 怖くなった男性は振り返らず、早足で出口へ向かった。 そのときだった。 すぐ耳元で、女の声がした。 「……待って」 男性は思わず振り返った。 そこには誰もいない。 ただ、暗い墓地が広がっているだけだった。 そして、もう一度前を向いた瞬間。 数メートル先の墓石の横に、白い服を着た女性が立っていた。 顔は見えない。 長い髪が垂れ下がり、じっとこちらを見ているようだった。 男性は恐怖で動けなくなった。 すると女性が、ゆっくりと一歩だけ前へ出た。 その瞬間、周囲の街灯が一斉に消えた。 真っ暗になった。 男性は夢中で走った。 何度も転びそうになりながら、ようやく霊園の外へ出た。 明るい道路まで来て、恐る恐る後ろを見る。 誰もいない。 しかし、男性のスマートフォンには、見覚えのない写真が一枚だけ残っていた。 撮った覚えのない写真。 そこには、暗い墓地と無数の墓石が写っていた。 そして写真の端。 男性のすぐ後ろに―― 白い服の女性が立っていた。 それ以来、男性は夜の青山霊園には近づかなくなったという。

千駄ヶ谷トンネル――白い女

深夜の東京。 人通りも少なくなった千駄ヶ谷の道を、一人の男が車で走っていた。 時計は午前二時を少し回っていた。 仕事が長引き、普段なら避ける道を近道として選んだのだ。 やがて車は、千駄ヶ谷トンネルへと差しかかった。 トンネルの入口に近づいた瞬間、男は妙な違和感を覚えた。 周囲には街灯がある。 それなのに、トンネルの入口だけが妙に暗く見えた。 「……なんだ?」 そう呟きながら、男はアクセルを踏んだ。 トンネルの中へ入る。 壁に反響するエンジン音。 一定の速度で走っているはずなのに、なぜかトンネルが異様に長く感じられる。 そのときだった。 前方の暗闇に、人影が見えた。 白い服を着た女だった。 女はトンネルの端に立ち、こちらに背を向けている。 「こんな時間に……?」 男は速度を落とした。 女の横を通り過ぎようとした、その瞬間。 女がゆっくりと振り返った。 男は思わずブレーキを踏みかけた。 女の顔が、見えない。 長い髪が顔を覆っていたのだ。 そして女は、車の後方をじっと見つめていた。 男は怖くなり、そのままトンネルを抜けた。 バックミラーを見る。 ――誰もいない。 「見間違いか……」 そう思って前を向いた。 だが、数秒後。 車の後部座席から、 コン……コン…… と、小さな音が聞こえた。 男の背中に冷たい汗が流れた。 後部座席には誰も乗せていない。 それでも音は続く。 コン……コン……コン…… まるで、誰かが内側から窓を叩いているようだった。 男は振り返ることができなかった。 そのまま車を走らせ、明るい場所まで逃げた。 そして恐る恐る後部座席を見る。 誰もいない。 ただ、窓ガラスには―― 濡れた女性の手形が、いくつも残っていた。 それから男は、二度と深夜の千駄ヶ谷トンネルを通らなくなったという。 今でも、このトンネルでは夜になると女性の姿を見たという話や、誰もいないはずの場所から人の気配を感じたという噂が語られている。 もちろん、その真偽は分からない。 ただ一つ。 深夜のトンネルで、もし白い服の女を見かけても―― 決して、振り返ってはいけない。

『鈴ヶ森の呼び声』

夜の十一時を過ぎたころだった。 仕事帰りの男は、第一京浜を歩いていた。 車の音が途切れることはない。 明るい街灯もある。 それなのに――。 大経寺の前を通り過ぎた瞬間、男は妙な寒気を感じた。 「……なんだ?」 振り返る。 そこには、静まり返った境内と、鈴ヶ森刑場跡の石囲いが見えるだけだった。 男は苦笑して、再び歩き出した。 そのとき。 ――チリン。 小さな鈴の音がした。 「……?」 空耳だと思った。 しかし、数秒後。 ――チリン……。 今度ははっきり聞こえた。 音は、背後からだった。 男が振り返る。 誰もいない。 ところが、刑場跡の暗がりにある石の前に、何かが立っていた。 人影。 黒い着物のように見える。 男は目を細めた。 すると、その人影がゆっくり顔を上げた。 顔が見えない。 ただ、首元だけが妙に白かった。 「……誰だ?」 声をかけた瞬間――。 人影が消えた。 男は急いでその場を離れた。 そして十数メートルほど歩いたところで、スマートフォンが鳴った。 知らない番号だった。 恐る恐る出る。 『……もしもし』 何も聞こえない。 ただ、向こう側から―― ――チリン。 鈴の音がした。 男は慌てて電話を切った。 すると今度は、背後から声がした。 「……まだ、帰るのか」 男の体が凍りついた。 振り返れない。 その声は、すぐ耳元にあった。 「ここで……待っている人がいる」 男は走った。 何度も後ろから鈴の音が聞こえた。 ――チリン。 ――チリン。 ――チリン。 やがて自宅に着き、玄関を閉めた。 荒い息を整えながら、男はスマートフォンを確認した。 着信履歴に、さっきの番号が残っている。 しかし、その番号を見た瞬間――男は凍りついた。 番号の下に、名前が表示されていた。 「鈴ヶ森刑場」 そんな名前を、男は登録していない。 もちろん、そんな電話番号が存在するはずもない。 男は震える手で着信履歴を消した。 その夜。 午前二時十三分。 男は布団の中で目を覚ました。 部屋は真っ暗だった。 そして――。 枕元から音がした。 ――チリン。 男は息を止めた。 ――チリン。 今度は、すぐ目の前。 暗闇の中に、人が立っていた。 黒い着物。 白い顔。 そして、その首元には小さな鈴。 男は声を出せなかった。 その人物は、ゆっくり近づいてくる。 そして耳元で囁いた。 「……ひとり、足りない」 ――チリン。...

江戸伝馬町処刑場跡――夜の石畳

その場所には、昼間なら誰も気に留めないような、普通の街の景色が広がっている。 けれど、昔ここが江戸の伝馬町牢屋敷に近く、処刑が行われた場所だったと知ると、同じ景色が少し違って見えてくる。 ある男が、夜遅く、その周辺を歩いていた。 時計を見ると、午前一時を過ぎていた。 人通りはほとんどない。 男が細い道を曲がったときだった。 ――カラン。 背後で、小さな金属音がした。 振り返る。 誰もいない。 「気のせいか……」 そう呟いて歩き出す。 すると、 ――カラン……カラン…… 今度は、はっきり聞こえた。 まるで、誰かが足枷を引きずりながら歩いているような音だった。 男は立ち止まった。 音も止まった。 歩く。 ――カラン。 止まる。 ――カラン。 どうやら、音は自分の後ろについてきている。 怖くなった男は、振り返らず、そのまま早足で歩いた。 すると突然、耳元で声がした。 「……まだ、帰れぬ」 男は飛び上がった。 慌てて振り返る。 そこには、誰もいない。 ただ、街灯の下に古びた石が一つ落ちていた。 その石を見た瞬間、男は妙な違和感を覚えた。 石の表面には、濡れたような黒い跡がいくつも付いていた。 そして、その中央に―― 人の指で書いたような文字があった。 「次は、お前」 男は走った。 交差点を曲がり、明るい通りまで出る。 ようやく人の姿を見つけ、ほっとした。 ところが、そこで男は足を止めた。 ガラス張りの店の前に立っていた老人が、こちらを見ている。 老人は男を見るなり、怯えた顔で呟いた。 「……あんた、後ろにいる人……」 「え?」 男が振り返ろうとすると、老人は首を横に振った。 「見るな」 「何がいるんですか?」 老人は震える声で答えた。 「首を……探してる」 その瞬間。 男の背後から、 ――カラン…… 足枷の音がした。 そして、耳元でまた声がした。 「……帰れぬ」 男はその場から逃げ出した。 翌朝。 男は昨夜のことを誰にも話さなかった。 ただ、一つだけ妙なことがあった。 家に帰って靴を脱いだとき、靴底に何かが挟まっているのに気づいた。 取り出してみる。 それは、小さな黒い石だった。 表面には、昨夜と同じ文字が刻まれていた。 ただし、今度は違った。 そこには―― 「見つけた」 と書かれていた。 それ以来、男は夜になると、自宅の廊下から聞こえる音に悩まされるようになった。 ――カ...

『首塚の前で、名前を呼んではいけない』

東京・大手町。 高層ビルに囲まれた一角に、周囲の空気とは明らかに違う場所がある。 平将門の首塚。 昼間は会社員が行き交い、近くでは車の音も絶えない。 けれど、夜になると妙な静けさが漂う。 ある会社員の男性が、仕事帰りにその前を通った。 時刻は午後11時を過ぎていた。 「こんなところに、本当に首塚があるんだ……」 男性は立ち止まり、スマートフォンを取り出した。 写真を撮ろうとした、その瞬間。 スマートフォンの画面が真っ暗になった。 電池は十分に残っている。 何度電源ボタンを押しても反応しない。 「壊れたか?」 そう呟いた直後だった。 背後から、 ――カツン。 小さな音が聞こえた。 振り返る。 誰もいない。 男性は気味が悪くなり、その場を離れようとした。 ところが、なぜか足が動かなかった。 まるで地面に靴を縫い付けられたようだった。 そのとき。 耳元で、低い男の声がした。 「……誰の許しを得て、ここにいる」 男性は凍りついた。 声がした方向には、誰もいない。 慌てて走り出す。 すると突然、スマートフォンが復活した。 画面には、さっき撮ったはずの写真が表示されていた。 しかし、男性は写真を見て息を呑んだ。 そこには首塚が写っていた。 そして―― 石碑の横に、甲冑を着た男が立っていた。 顔は写っていない。 ただ、こちらを向いている。 男性は怖くなり、その写真を消した。 その夜は何事もなく帰宅した。 だが、翌朝。 会社へ向かう途中、スマートフォンを見ると、 消したはずの写真が一枚だけ残っていた。 昨夜の首塚の写真だった。 しかも、昨日とは違っていた。 甲冑の男が、こちらを向いている。 さらによく見ると、 男の首が―― なかった。 男性は慌ててスマートフォンを閉じた。 その瞬間。 ポケットの中から、 「カツン」 という音がした。 取り出してみる。 何も入っていない。 しかし、会社に着いて自分の机を見ると、 机の上に小さな石が置かれていた。 見覚えのない石だった。 そして、その石には赤黒い文字で、 こう書かれていた。 ――「帰ってきたぞ」 男性は、その日を最後に会社を辞めた。 後日、同僚が男性の家を訪ねた。 部屋は空っぽだった。 ただ、机の上に一枚の紙だけが残されていた。 そこには震えた文字で、 「もう二度と、あの名前を呼ばない」 と書かれていた。 そして紙の裏側には、 「平将門...