投稿

ラベル(三重県)が付いた投稿を表示しています

津陸軍墓地――夜の墓地で聞こえた行進の音

ある夏の夜、私は友人と二人で津陸軍墓地を訪れた。 昼間とは違い、夜の墓地は驚くほど静かだった。 街の明かりから少し離れただけなのに、周囲には人の気配がない。 懐中電灯で足元を照らしながら、墓地の中をゆっくり歩いていると、友人が突然立ち止まった。 「……今、何か聞こえなかった?」 私は耳を澄ませた。 すると―― ザッ……ザッ……ザッ…… 遠くから、一定のリズムで足音が聞こえてきた。 誰かが歩いている。 そう思ったが、足音は妙に揃っていた。 まるで、大勢の人間が一斉に歩いているようだった。 「誰かいるのかな」 そう言って振り返った。 しかし、そこには誰もいない。 足音だけが、少しずつ近づいてくる。 ザッ……ザッ……ザッ…… 友人が小声で言った。 「これ……行進してない?」 その瞬間、足音がぴたりと止まった。 墓地には再び静寂が戻った。 私たちは顔を見合わせ、その場を離れようとした。 ところが、数歩進んだところで、今度は背後から別の音が聞こえた。 カツ……カツ……。 一人分の足音だった。 しかも、私たちの歩く速度に合わせるようについてくる。 私が立ち止まると、足音も止まる。 一歩進むと―― カツ……。 また一歩。 カツ……。 怖くなった私は、絶対に振り返らないよう友人を急かした。 墓地の出口が見えた、そのときだった。 背後から、低い声が聞こえた。 「……整列」 思わず振り返りそうになったが、友人に腕を強く掴まれた。 「見るな!」 その声と同時に、墓地の奥から無数の足音が響き始めた。 ザッ、ザッ、ザッ、ザッ――。 まるで大勢の人間が、私たちのすぐ後ろを通り過ぎていくようだった。 しかし、前方の出口から見える道には誰一人として現れない。 私たちは夢中で墓地を飛び出した。 しばらく走ってから振り返ると、墓地は静まり返っていた。 何事もなかったように、暗闇が広がっている。 その後、友人とはこの夜のことをほとんど話さなくなった。 ただ、一つだけ気になることがある。 あの夜、友人がスマートフォンで撮影していた動画に、私たちの声とは別の音が残っていたのだ。 動画の最後。 墓地を出る直前に、はっきりと入っていた。 「……点呼を始める」 そして、その直後。 画面の外から、 ザッ……ザッ……ザッ…… と、何人もの足音が近づいてきていた。

六軒駅――終電のホームに立つ人

深夜、六軒駅のホームには、ほとんど人影がなかった。 その日、仕事を終えた私は、いつものように終電間際の電車を待っていた。 時刻は、午前0時を少し過ぎたころ。 ホームに吹く風は冷たく、駅の照明だけが妙に明るく感じられた。 ふと線路の向こうを見ると、ホームの端に誰かが立っている。 黒っぽい服を着た人影だった。 「こんな時間に、誰だろう……」 そう思った瞬間、その人影がこちらを向いた。 顔は、よく見えなかった。 ただ、じっとこちらを見ているような気がした。 私は気味が悪くなり、視線を外した。 そして、再び見る。 ――いない。 さっきまで確かに立っていた場所には、誰もいなかった。 その直後だった。 「……すみません」 背後から、小さな声が聞こえた。 振り返る。 しかし、そこにも誰もいない。 気のせいだと思い、電車が来る方向へ向き直った。 すると、線路の先から電車のライトが見えた。 私は少し安心した。 ところが、電車が近づいてきても、なぜか警笛が鳴らない。 そして、ホームに入ってきた電車の窓を見ると、異変に気づいた。 車内にいる乗客が、全員こちらを向いている。 誰一人として動かない。 ただ、全員が窓越しに私を見ていた。 電車が停車する。 ドアが開いた。 私は乗り込もうとした。 その瞬間、車内の一番奥に、さっきホームの端に立っていた人影が見えた。 そして、その人影がゆっくりと手を上げた。 まるで、 「こっちへ来い」 と呼んでいるようだった。 私は恐ろしくなり、一歩後ろへ下がった。 すると突然、ドアが閉まった。 電車はそのまま走り去っていった。 ホームには、私一人だけが残された。 ……と思った。 「すみません」 また、背後から声がした。 今度は、はっきり聞こえた。 振り返ると、そこには誰もいない。 ただ、足元に濡れた靴跡が残っていた。 しかも、その靴跡は線路側から私のところまで続いていた。 私は怖くなり、その場から逃げるように駅を出た。 後日、駅員にその夜のことを話してみた。 すると駅員は少し黙ったあと、 「終電のあとに、ホームに残っている人は……気をつけたほうがいいですよ」 とだけ言った。 理由を聞いても、それ以上は何も教えてくれなかった。 それ以来、私は六軒駅を利用するとき、必ず周囲を確認するようになった。 特に、終電間際。 ホームの端に、誰かが立っていないか。 そして―― ...

旧長野トンネル――後ろから来る車

深夜、友人と二人で旧長野トンネルへ向かった。 目的は、トンネルの中を撮影することだった。 時刻は午前二時。 山道には街灯もほとんどなく、車のヘッドライトだけが暗闇を照らしていた。 トンネルの前に車を停める。 周囲は静まり返っていた。 エンジンを切ると、聞こえるのは風の音だけ。 「本当に何もないな」 友人がそう言って、スマートフォンを持ってトンネルへ入った。 二人で歩き始める。 コツ……コツ……。 靴音がトンネルの壁に反響する。 しばらく進んだところで、友人が突然立ち止まった。 「今、後ろから車来なかった?」 耳を澄ます。 すると確かに、 ブゥゥゥ……。 遠くからエンジン音のようなものが聞こえた。 振り返る。 しかし、そこには何もない。 「気のせいじゃない?」 そう言って歩き始めた。 ところが数秒後、 ブゥゥゥ……。 今度は、はっきり聞こえた。 しかも音が近づいている。 トンネルの中を車が走ってくるようだった。 二人は壁際に寄った。 ライトが見えるかと思い、暗闇の奥を見つめる。 しかし、車の姿は見えない。 それなのに、 エンジン音だけが近づいてくる。 ブゥゥゥ……。 ブゥゥゥ……。 そして―― 耳元を何かが通り過ぎた。 風圧だけが頬を撫でる。 二人とも声が出なかった。 車が通ったはずなのに、ライトも車体も見えなかった。 慌てて入口へ戻る。 すると今度は、後ろからタイヤの音が聞こえた。 ゴォォォ……。 振り返る。 誰もいない。 それでも音だけは、二人のすぐ後ろまで迫ってくる。 友人が突然、 「走れ!」 と叫んだ。 二人は一気に入口へ向かって走った。 その瞬間―― トンネルの奥から、 「キィィィィィ……」 という急ブレーキのような音が響いた。 そして、完全に音が消えた。 外へ飛び出し、車まで戻る。 二人とも息を切らしながら、すぐに車へ乗り込んだ。 エンジンをかけようとした、その時だった。 車の後部座席から、 「コン……コン……」 と窓を叩く音がした。 二人は凍りついた。 ゆっくりバックミラーを見る。 後部座席には誰もいない。 もう一度、 「コン……コン……」 今度は反対側の窓から聞こえた。 そのまま車を発進させ、山道を下った。 翌日、撮影した映像を確認した。 トンネルの中でエンジン音が聞こえ始めた場面。 映像には何も映っていない。 だが、音声だけを確認すると―― エンジン...

旧長野隧道――出口に立つ影

夜中の午前一時を過ぎたころ、男は旧長野隧道を訪れた。 古い隧道の周辺は驚くほど静かだった。 車のエンジンを切ると、聞こえてくるのは風の音と、遠くで鳴く動物の声だけ。 男は懐中電灯を手に、隧道の中へ歩いていった。 入口から数十メートル進んだところで、妙なことに気づいた。 足音が、一つ多い。 「……コツ、コツ」 自分が歩く音に合わせて、少し遅れて別の足音が聞こえてくる。 最初は靴音の反響だと思った。 しかし、立ち止まると―― 後ろの足音だけが、もう一度、 「コツ……」 と鳴った。 男は振り返った。 当然、誰もいない。 懐中電灯で隧道の奥と入口を照らしても、人影は見えなかった。 気味が悪くなった男は、急いで出口へ向かった。 ところが、いくら歩いても出口が近づかない。 さっきまで見えていたはずの小さな光が、なぜか遠ざかっている。 「おかしい……」 男は足を速めた。 その瞬間、後ろからはっきりと足音が聞こえた。 「コツ……コツ……コツ……」 今度は、かなり近い。 男は振り返らず、そのまま走った。 すると前方に、ようやく出口らしき明かりが見えてきた。 安心した男は、夢中で走り続けた。 しかし、出口の手前で足が止まった。 そこに誰かが立っていたからだ。 暗い人影だった。 顔は見えない。 男は声をかけることもできず、その場で固まった。 すると、その影がゆっくりと隧道の外へ歩き出した。 男も反射的に後を追った。 ところが―― 外へ出た瞬間、影は消えていた。 男は周囲を見回した。 誰もいない。 そして振り返った瞬間、背筋が凍った。 さっきまで歩いてきたはずの隧道の入口が、異様に遠く見えたのだ。 まるで、自分が隧道の中にいる時間だけ、現実の時間とは別に流れていたようだった。 男は急いで車へ戻った。 そしてエンジンをかけようとした、その時。 車の後部座席から、 「コツ……」 という音がした。 男はゆっくりとバックミラーを見た。 誰もいない。 もう一度、 「コツ……コツ……」 今度は、車内から聞こえている。 男は車を飛び出し、その場から逃げた。 後日、明るい時間に車を確認すると、後部座席の窓には、内側から指でなぞったような跡が残っていたという。 そして、その跡は一つだけではなかった。 窓いっぱいに、無数の指の跡がついていた。 まるで―― 隧道の中から、何人もの人間が外へ出ようとしていたかのよ...

安濃ダム――湖面に立つ女

夜の安濃ダムは、昼間とはまるで違う顔を見せる。 周囲を山に囲まれたダム湖は、風が止まると鏡のように静まり返る。 街灯も少なく、夜になると聞こえてくるのは、木々のざわめきと遠くで鳴く鳥の声くらいだった。 ある夏の夜、二人の若者が安濃ダムへ車で向かった。 目的は、夜のダムを見てみたいという、ただそれだけだった。 ダムの近くまで来ると、二人は車を停め、湖を眺めながら話をしていた。 「ここ、本当に何も聞こえないな」 友人がそう言った直後だった。 湖の方から、 ――チャプ……。 水を叩くような小さな音が聞こえた。 二人が湖面を見る。 しかし、そこには何もない。 「魚でも跳ねたんじゃない?」 そう言って笑ったものの、二人ともなぜか湖から目を離せなかった。 そのとき、友人が突然黙った。 「……なあ」 「どうした?」 友人は湖の奥を指差していた。 暗い湖面の上に、何かが立っている。 最初は木か何かだと思った。 だが、目を凝らすと、それは人のような形をしていた。 白っぽい服を着た女が、湖の上に立っている。 「……人?」 二人は言葉を失った。 女はじっとこちらを向いている。 顔までは見えない。 それなのに、なぜかこちらを見ていることだけは分かった。 そして―― 女がゆっくりと一歩、こちらへ近づいた。 水面を歩いている。 「帰ろう」 友人が小さな声で言った。 二人は慌てて車へ戻った。 エンジンをかけようとしたが、なぜか一度でかからない。 二度、三度とキーを回す。 その間も、友人は後ろを見続けていた。 「……近づいてきてる」 「何が?」 「さっきの女……」 振り返る勇気はなかった。 やがてエンジンがかかり、二人はその場を離れた。 しばらく走ったところで、友人が突然、 「止めて」 と言った。 「なんで?」 「……後ろから、ずっと水の音がする」 車を停めると、確かに聞こえた。 ――チャプ……。 ――チャプ……。 まるで誰かが車のすぐ後ろを歩いているような音だった。 二人は怖くて振り返ることができなかった。 そのまま車を走らせ、山を下りた。 翌朝、友人から一枚の写真が送られてきた。 昨夜、車の中から何気なく撮影していた湖の写真だった。 写真には暗い湖面と山しか写っていない。 しかし、拡大してみると―― 湖の中央に、白い人影が立っていた。 そして、その人物の顔だけが不自然なほどこちらを向いていた。...

中河原海岸――海から呼ぶ声

夜の中河原海岸には、昼間とはまるで違う空気が漂っている。 その日、私は友人と二人で海岸を訪れていた。 時刻は午前一時を過ぎていた。 風はほとんどなく、波の音だけが一定の間隔で聞こえている。 「……誰かいる?」 友人が突然、海のほうを見ながら言った。 私は目を凝らした。 暗い海岸線の向こうに、確かに人影のようなものが立っている。 だが、暗闇の中では、それが人なのか岩なのか判断できない。 「気のせいじゃない?」 そう言って車へ戻ろうとした、その時だった。 ――ザァ……。 波の音に混じって、誰かの声が聞こえた。 「……こっち……」 私は思わず振り返った。 友人も同時に振り返っていた。 「今、聞こえたよな?」 海のほうからだった。 もう一度、耳を澄ます。 すると今度は、はっきりと聞こえた。 「……おいで……」 声は女性のようだった。 しかし、海岸には私たち以外誰もいない。 「もう帰ろう」 私がそう言うと、友人は返事をしなかった。 「おい?」 もう一度声をかける。 すると友人は、海を見つめたまま小さな声で言った。 「……あの人、寒そうだな」 「え?」 「ほら、海の中にいる人」 私は海を見た。 だが、そこには誰もいない。 「誰もいないぞ」 そう言うと、友人は不思議そうな顔をした。 「……そう?」 その直後だった。 友人の様子がおかしくなった。 急に海へ向かって歩き始めたのだ。 「おい、どこ行くんだよ!」 私は慌てて腕をつかんだ。 すると友人は、まるで眠っているような表情で答えた。 「呼ばれてるんだよ」 「誰に?」 友人はゆっくり海を指差した。 「……あの人に」 私は背筋が凍った。 その時、友人の足元に波が届いた。 だが、友人は避けようとしない。 まるで海の中へ入っていこうとしている。 「帰るぞ!」 私は必死に友人を引っ張った。 すると友人は突然、私の手を振りほどこうと暴れ始めた。 「離せ!」 普段の友人からは考えられないほどの力だった。 そして、海に向かって叫んだ。 「今行くから!」 その瞬間―― 海の向こうから、女性の声が返ってきた。 「……待ってる」 私は恐ろしくなり、友人を抱えるようにして車まで連れて行った。 車に乗せても、友人はしばらく海を見つめていた。 やがて小さく呟いた。 「……あの人、ずっとこっち見てた」 「誰が?」 友人は答えなかった。 ただ、後部座席の窓をじっ...

白山大橋――橋の下から呼ぶ声

深夜、仕事帰りの男性が車を走らせていた。 昼間なら何気なく通り過ぎる白山大橋も、その日は妙に静かだった。 橋の上には他の車が一台もなく、街灯の明かりが一定の間隔で路面を照らしている。 男性が橋の中央付近まで来たときだった。 「……止まって」 助手席から、誰かの声が聞こえた。 男性は驚いてブレーキを踏んだ。 しかし、助手席には誰もいない。 気のせいだと思い、再び車を走らせようとした。 その瞬間―― 「下……見て」 今度は、はっきり聞こえた。 男性は恐る恐るバックミラーを見た。 すると、橋の欄干の向こう側に、白い服を着た人影が立っていた。 「こんな時間に……?」 人影は動かない。 ただ、橋の下をじっと見つめている。 男性が車を降りようとした、そのときだった。 橋の下から、 「……助けて」 という声が聞こえた。 男性は凍りついた。 川も道路も、周囲には誰もいない。 それなのに、声だけが橋の下から響いてくる。 そして次の瞬間―― 欄干の向こうにいた白い服の人影が、ゆっくりとこちらを振り返った。 顔は見えなかった。 ただ、髪の隙間から覗く二つの目だけが、異様なほどこちらを見つめていた。 男性は慌てて車に乗り込み、その場から逃げた。 しばらく走ってから、恐る恐るバックミラーを確認する。 橋はもう見えない。 だが、後部座席に何か白いものが映っていた。 「……え?」 男性が振り返る。 そこには誰もいなかった。 ただ、濡れた手形だけが、後部座席の窓にいくつも残っていた。 その後、男性は二度と深夜の白山大橋を通らなくなったという。 そして今でも、夜遅くに橋を渡ると、 「……助けて」 という声を聞いたという話が、ひっそりと囁かれている。 その声が橋の下から聞こえたとき―― 決して、下を覗いてはいけない。 そこには、こちらを見上げている「誰か」がいるかもしれない。

青山トンネル前の電話ボックス

深夜、青山トンネルへ向かう山道を一人の男が車で走っていた。 時刻は午前二時を過ぎていた。 周囲には街灯もほとんどなく、車のライトだけが暗い道を照らしている。 しばらくすると、トンネルの手前に古びた電話ボックスが見えてきた。 「こんなところに電話ボックスなんて、まだあるんだ……」 そう思った瞬間だった。 ――リン……。 車の中に、電話のベルが聞こえた。 男は驚いてブレーキを踏んだ。 見ると、電話ボックスの中で公衆電話が鳴っている。 こんな時間に、こんな場所で。 気味が悪かったが、ベルは何度も鳴り続ける。 ――リン……リン……。 なぜか男は車を降り、電話ボックスへ近づいてしまった。 そして受話器を取った。 「……もしもし?」 返事はない。 ただ、受話器の向こうから、 「……ザ……ザ……」 というノイズだけが聞こえてくる。 「もしもし?」 その瞬間。 小さな女の声がした。 「……トンネルの中にいるの?」 男は凍りついた。 「誰ですか?」 しばらく沈黙が続いた。 そして女は、今度ははっきりと言った。 「後ろ……見ないで」 男の背中に冷たい汗が流れた。 それでも、どうしても気になってしまった。 ゆっくりと振り返る。 そこには誰もいない。 ただ、電話ボックスのガラスに映った自分の姿だけが見えていた。 ――いや。 よく見ると、違った。 自分のすぐ後ろに、長い髪の女が立っている。 男は悲鳴を上げ、電話を落とした。 慌てて外へ飛び出し、車へ戻る。 エンジンをかけ、トンネルから一刻も早く離れようとした。 そのときだった。 車内に、また電話のベルが響いた。 ――リン……リン……。 男は恐る恐るカーナビを見る。 電話がかかってきている。 表示された発信元は、 「公衆電話」 だった。 男は電話に出なかった。 そのまま車を走らせた。 しかし、トンネルを抜けてもベルは鳴り続ける。 ――リン……リン……。 やがて男は耐えきれなくなり、携帯電話の電源を切った。 すると、ベルも止まった。 「……助かった」 そう思った瞬間。 後部座席から、女の声がした。 「なんで……電話に出てくれなかったの?」 男はその場で車を止めた。 そして、恐る恐るバックミラーを見た。 そこには誰もいない。 ただ、後部座席のシートに、 濡れた長い髪が一本だけ落ちていた。 それ以来、青山トンネル前の電話ボックスでは、深夜になると誰も...

青山トンネル――「後ろから来る車」

深夜0時を過ぎたころ。 三重県の山道を、ひとりの男が車で走っていた。 目的地までの近道として、青山トンネルを抜けるルートを選んだのだ。 山の中は異様なほど静かだった。 街灯もほとんどなく、車のヘッドライトだけが暗闇を切り裂いている。 しばらくすると、前方にトンネルの入口が見えてきた。 「……ここか」 男は速度を落とし、トンネルへ入った。 入口を通過した瞬間―― 車内のラジオが突然、ザーッという雑音に変わった。 そして、かすかに声が聞こえた。 「……止まって……」 男は驚いてラジオを切った。 「気のせいか……」 そう呟き、前を向く。 トンネルの中は真っ暗だった。 しばらく走っていると、バックミラーに小さな光が映った。 後ろから車が来ている。 「こんな時間に?」 男は少し安心した。 だが、その車は異様だった。 ライトが二つ見えているのに、車体がまったく見えない。 しかも、どれだけ走っても距離が縮まらない。 男は速度を上げた。 すると後ろのライトも同じように速度を上げる。 さらに速度を上げる。 それでも一定の距離を保ったまま、ついてくる。 そしてトンネルの出口が見え始めたころ―― 突然、後ろのライトが消えた。 「……?」 男はバックミラーを見た。 そこには、何もいない。 出口まであと数十メートル。 男はアクセルを踏み込んだ。 その瞬間。 後部座席から、 「コン……」 と、小さな音がした。 男の背中に冷たい汗が流れた。 「……今の、何だ?」 「コン……コン……」 今度ははっきり聞こえた。 まるで誰かが、後部座席の窓を内側から叩いているようだった。 男は振り返れなかった。 ただひたすら前だけを見て、車を走らせた。 そして―― トンネルを抜けた。 男は大きく息を吐いた。 「助かった……」 そう思ってバックミラーを確認した。 すると―― 後部座席に、 見知らぬ女が座っていた。 長い髪で顔を隠し、俯いている。 男は声も出せなかった。 その女が、ゆっくり顔を上げる。 そして、鏡越しに男を見つめながら、 小さな声でこう言った。 「……どうして置いていったの?」 男は急ブレーキを踏んだ。 しかし、後部座席には誰もいなかった。 車を降り、何度確認しても、女の姿はない。 ただ、後部座席の窓には―― 内側から押しつけたような、 無数の手形が残っていたという。 それ以来、男は二度と青山トンネルを...

旧総谷トンネル――トンネルの向こうから聞こえる声

三重県の山深くに、かつて鉄道が走っていた。 その場所に残されているのが、旧総谷トンネルだった。 昼間でも薄暗く、周囲には木々が生い茂っている。 地元では、昔からこの辺りで「夜になると人の声が聞こえる」という噂があった。 ある夏の夜、二人の若者がその場所を訪れた。 「本当に何か出るのかな?」 懐中電灯を片手に、トンネルの入口へ近づく。 すると――。 カン……。 遠くから、金属を叩くような音が聞こえた。 「今の何?」 二人は顔を見合わせた。 カン……カン……。 音は少しずつ近づいてくる。 しかし、トンネルの中には当然、誰もいない。 「気のせいだろ」 そう言って、一人がトンネルの奥へ懐中電灯を向けた。 その瞬間だった。 ――ガタン、ゴトン……。 まるで列車が走っているような音が、トンネルの奥から響いてきた。 二人は息を呑んだ。 旧総谷トンネルは、もう列車が走る場所ではない。 それなのに、音は確実に近づいてくる。 ガタン……ゴトン……。 そして、突然音が止まった。 静寂。 「……行こう」 二人が振り返った、そのとき。 背後から、小さな声がした。 「……まだ、来ないの?」 二人は凍りついた。 誰かがいる。 しかし、振り返っても誰もいない。 もう一度、声がする。 「……早く……」 今度は、すぐ耳元だった。 二人は夢中で走り出した。 トンネルから出た瞬間、後ろを振り返る。 入口には誰もいない。 ただ、暗闇だけが広がっていた。 その夜、二人は何も起こらなかったことにした。 ところが翌朝。 撮影した動画を確認すると、奇妙なものが映っていた。 トンネルの奥。 そこには、二人が入ったときには存在しなかったはずの、白い人影が立っていた。 そして動画の最後。 映像が真っ暗になる直前に、録音されていた。 「……次は、あなたたちの番」 それ以来、二人は二度と旧総谷トンネルには近づかなかったという。 山の中で列車の音を聞いても、決して振り返ってはいけない。 なぜなら―― その音は、今走っている列車ではなく、 かつてここを走った列車が、もう一度こちらへ戻ってきている音なのかもしれない。