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白山社裏――呼んではいけない名前

富山県のある場所に、古い神社がある。 昼間は静かな場所だが、社の裏手には人があまり近づかない細い道が続いている。 地元では昔から、そこを「白山社裏」と呼んでいた。 ある夏の夜、二人の若者が肝試しに訪れた。 時刻は午前一時を過ぎていた。 社の前を通り過ぎ、二人は懐中電灯を頼りに裏手へ向かった。 「本当に何か出るのかな」 そう言いながら歩いていると、突然、後ろから小さな声が聞こえた。 「……ねえ」 二人は同時に振り返った。 しかし、誰もいない。 「今、聞こえたよな?」 「風じゃない?」 そう言って再び歩き始めた。 ところが、数メートル進んだところで、また声がした。 今度は、はっきり聞こえた。 「……ねえ、名前……」 二人は立ち止まった。 声は、すぐ後ろから聞こえたようだった。 怖くなった二人は、振り返らずにその場を離れることにした。 そのとき、一人がふと気づいた。 自分たちの足音とは別に、もう一人分の足音が聞こえている。 ザッ……ザッ…… 二人が歩けば、後ろの足音も歩く。 二人が止まれば、後ろの足音も止まる。 そして突然―― 「あなたの名前、知ってるよ」 耳元で女の声がした。 二人は悲鳴を上げ、一気に走って社の表へ戻った。 車に乗り込み、急いでその場を離れた。 翌朝、二人は昨夜のことを笑い話にしようとした。 しかし、片方の男性がスマートフォンに残っていた写真を見て、言葉を失った。 昨夜、白山社裏で撮影した写真。 そこには二人しか写っていないはずだった。 だが、二人の間に―― 見知らぬ女性の顔が写り込んでいた。 しかも、その女性は二人を見ているのではなかった。 写真の中で、女性が見つめていたのはカメラでもなく、二人でもない。 その視線の先には、写真を撮った男性の名前が書かれたスマートフォンの画面があった。 それ以来、男性のもとには深夜になると、誰もいない番号から電話がかかってくるようになったという。 電話に出ても、何も聞こえない。 ただ最後に必ず―― 「……名前、呼んでいい?」 という女の声だけが聞こえる。 男性は今でも、その電話には絶対に出ないという。 そして地元では、白山社裏で名前を呼ばれても、決して返事をしてはいけない。 返事をすると―― 今度は、向こうからあなたの名前を呼び続けるようになる。

市民プラザ――閉館後のエレベーター

富山の街中にある市民プラザ。 昼間は多くの人が訪れ、イベントや買い物などで賑わっている、どこにでもあるような施設だった。 しかし、そこで働いていたある男性には、どうしても近づきたくない場所があった。 それは、閉館後のエレベーターだった。 ある夜、男性が館内の見回りをしていると、誰もいないはずの上階からエレベーターが降りてきた。 「誰か残っているのか?」 そう思い、扉が開くのを待った。 チン――。 扉が開く。 中には誰もいない。 男性は少し不思議に思いながらも、そのままエレベーターに乗り込んだ。 そして一階のボタンを押した。 ところが、扉が閉まる直前だった。 「……すみません」 背後から、小さな女の声が聞こえた。 男性は驚いて振り返った。 もちろん、誰もいない。 「気のせいか……」 そう呟いた瞬間、エレベーターの扉が再び開いた。 誰も操作していないのに、途中の階で止まったのだ。 そして、開いた扉の向こうには薄暗い廊下が見えていた。 男性が何気なく外を見る。 すると廊下の奥に、白い服を着た女性が立っていた。 顔は見えない。 ただ、こちらを見ているようだった。 「……どなたですか?」 声をかけた。 女性は答えない。 そのまま、ゆっくりとこちらへ歩き始めた。 一歩。 また一歩。 しかし、足音がしない。 男性は慌てて閉ボタンを押した。 扉が閉まり始める。 その隙間から見えた女性の顔。 長い髪の隙間から覗いていたのは―― 真っ黒な目だった。 扉が完全に閉まった瞬間、耳元で再び声がした。 「……一緒に降りてもいいですか?」 男性は振り返らなかった。 エレベーターが一階に到着するまで、目を閉じたまま耐えたという。 そして扉が開く。 恐る恐る目を開けると、そこには誰もいなかった。 ただ、エレベーターの鏡には、自分の後ろに立つ女性の姿だけが映っていた。 男性が振り返る。 やはり、誰もいない。 もう一度鏡を見る。 女性の姿も消えていた。 それ以来、男性は閉館後のエレベーターに一人では乗らなくなった。 そして今でも、夜の館内でエレベーターが誰もいない階から呼び出されることがあるという。 扉が開いたとき―― そこに誰もいなかったとしても。 「乗っているもの」まで、いないとは限らない。

北陸自動車道――夜の車線に立つ女

富山県を走る北陸自動車道。 昼間なら、立山連峰を遠くに望みながら走る、見慣れた高速道路だ。 しかし、深夜になると雰囲気が変わる。 街灯の少ない区間では、ヘッドライトが照らす先だけが白く浮かび、それ以外は真っ暗な闇に沈んでいる。 これは、そんな夜の高速道路で起きたという話だ。 ある男性が仕事を終え、深夜に車を走らせていた。 時刻は午前二時を少し過ぎた頃。 交通量もほとんどなく、前にも後ろにも車は見えない。 しばらく走っていると、男性は道路の先に何かが立っていることに気づいた。 最初は、故障した車の近くに誰かが立っているのだと思った。 だが、近づいても車らしきものは見えない。 やがてヘッドライトが、その姿をはっきりと照らした。 白い服を着た女だった。 女は高速道路の車線の真ん中に立ち、こちらを向いている。 「危ない!」 男性は反射的にブレーキを踏んだ。 しかし、車が女のすぐ前まで近づいた瞬間―― 女の姿が消えた。 まるで最初から、そこには誰もいなかったかのように。 男性は怖くなり、そのまま速度を上げて走り続けた。 ところが、数分後。 バックミラーを見ると、後部座席に誰かが座っている。 白い服を着た女だった。 男性は声も出せず、前だけを見て運転した。 すると、後ろから小さな声が聞こえた。 「……乗せて」 男性は絶対に振り返らなかった。 そのまま次のサービスエリアまで走り、明るい場所に車を停めた。 恐る恐る後部座席を見る。 そこには誰もいない。 ただ、後部座席の窓には、内側から押しつけたような手形がいくつも残っていたという。 そして男性が車を降りようとしたとき、カーナビから突然、女性の声が流れた。 「……次の出口で降りて」 男性が画面を見ると、目的地とはまったく違う場所が表示されていた。 その場所の名前を見た瞬間、男性は凍りついた。 そこは、過去に高速道路で事故が起きた場所だった。 もちろん、カーナビにそんな目的地を登録した覚えはない。 それ以来、男性は深夜の北陸自動車道を走らなくなったという。 そして今でも、深夜の高速道路を走る人の中には、 「誰もいないはずの車線に人影が見える」 「追い越したはずの白い服の女が、次の瞬間には後ろにいる」 そんな奇妙な体験をする人がいるという。 ただの見間違いなのか。 それとも―― 夜の高速道路には、今も帰る場所を探している誰かが立っている...

沢中の隣の火葬場――夜中に聞こえる名前

その火葬場は、沢中と呼ばれる場所のすぐ隣に建っていた。 昼間に見ると、周囲には木々が多く、古びた建物もどこか静かなだけの施設に見える。 しかし、地元では昔から、夜になると「あそこには近づかないほうがいい」と言われていた。 特に怖がられていたのが、火葬場の裏手にある細い道だった。 ある若者が、友人と二人でその道を歩いたのは、夜の十一時を過ぎた頃だった。 肝試しというほど大げさなものではない。 ただ、火葬場の近くを通って帰るだけだった。 二人が建物の横を通り過ぎたとき、突然、片方の足が止まった。 「……今、誰か呼ばなかった?」 もう一人は笑った。 「誰もいないだろ」 すると―― 「……おい」 今度は二人とも聞いた。 暗闇の中から、誰かが低い声で呼んだ。 しかし、周囲には誰もいない。 二人は急いで歩き始めた。 その瞬間だった。 火葬場の建物の中から、 カン…… と、金属を叩いたような音が響いた。 続いて、 カン……カン…… と、一定の間隔で音が続いた。 「誰かいるのか?」 そう言って振り返った友人の顔から、笑みが消えた。 建物の窓。 そこに、人影が立っていた。 真っ暗な室内なのに、窓の向こうにだけ、白っぽい人の姿が見える。 二人は一目散に逃げた。 そして翌朝。 怖さをごまかすために、二人で昨夜のことを話していた。 すると、片方が小さな声で言った。 「……お前、名前呼ばれてなかった?」 「え?」 「俺が聞いた声、お前の名前だった」 その瞬間、二人とも黙り込んだ。 実はもう一人も、同じことを思っていた。 自分が聞いた声は、友人の名前ではなかった。 ――自分自身の名前だった。 それ以来、二人は火葬場の近くを通らなくなったという。 だが、後になって一人が別の友人から聞いた話があった。 あの火葬場では、夜中に誰もいないはずの建物から、名前を呼ぶ声が聞こえることがあるらしい。 そして、その声を聞いた人は決まってこう言う。 「声は怖くなかった」 「むしろ、知っている人が呼んでいるようだった」 だからこそ、怖い。 もし夜の暗闇の中で、自分の名前を呼ぶ声が聞こえても―― 絶対に返事をしてはいけない。 なぜなら、 その声が誰のものなのかを確かめるために振り返った瞬間、 そこにいるはずのない誰かと、目が合ってしまうからだ。

総曲輪の廃墟――誰もいないはずの階段

富山県の中心部、総曲輪。 昼間は多くの人が行き交う繁華街だが、少し路地へ入ると、古い建物がひっそりと残っている場所がある。 その中に、長い間使われていない建物があった。 窓は汚れ、壁にはひびが入り、入口には立入禁止の札が掛けられている。 地元では、そこについて妙な噂があった。 「夜になると、階段を上がる足音が聞こえる」 ある夜、私はその建物の前を通りかかった。 時刻は午前一時を過ぎていた。 周囲の店はほとんど閉まり、昼間の賑やかさが嘘のように静まり返っている。 そのときだった。 ――コツ。 建物の中から、小さな音が聞こえた。 誰かが床を歩いたような音だった。 私は立ち止まった。 しかし、建物は何年も使われていない。 気のせいだと思い、その場を離れようとした。 すると今度は、 ――コツ、コツ、コツ。 明らかに階段を上っているような足音が聞こえてきた。 一階から二階へ。 そして二階から三階へ。 足音は、ゆっくりと上へ向かっていく。 私は建物を見上げた。 暗い窓のひとつに、人影のようなものが見えた気がした。 だが、次の瞬間には消えていた。 怖くなった私は、その場から離れた。 ところが、数十メートルほど歩いたところで、背後から声がした。 「……待って」 私は振り返らなかった。 すると、 ――コツ。 また足音がした。 今度は建物の中ではない。 すぐ後ろからだった。 ――コツ、コツ。 誰かが私の後ろを歩いている。 私は走った。 総曲輪の明るい通りまで出ても、足音はしばらく続いていた。 そして街灯の下で、恐る恐る振り返った。 そこには誰もいなかった。 翌日、気になって建物について調べてみた。 すると、昔その建物を利用していた人の中に、夜遅くまで働いていた人物がいたという話を聞いた。 その人物は、毎晩決まった時間になると、階段を上っていたらしい。 だが、ある日を境に突然姿を見せなくなったという。 それ以上のことを知る者はいなかった。 そして今でも、深夜になると、あの建物から階段を上るような足音が聞こえることがあるという。 ――コツ、コツ、コツ。 誰もいないはずの廃墟で、 誰かが今も、上の階を目指しているのだろうか。

古洞ダム――水面に立つ女

夜の古洞ダムは、昼間とはまるで別の場所に見える。 山に囲まれたダム湖には街灯も少なく、車のライトを消すと、そこには黒い水面と木々の影しか残らない。 ある夏の夜、二人の若者が肝試しのために古洞ダムを訪れた。 時刻は午前一時を過ぎていた。 車を降りると、周囲は驚くほど静かだった。 「……なんか、ここ静かすぎないか?」 一人がそう言った瞬間だった。 湖の方から、 ――ポチャン。 水に何かが落ちたような音が聞こえた。 二人は顔を見合わせた。 しかし、湖面には何もない。 もう一度、 ――ポチャン。 今度は少し近い。 「魚じゃない?」 そう言って笑ったものの、二人は湖に近づく気にはなれなかった。 そのまま車へ戻ろうとした時、後ろから小さな声が聞こえた。 「……すみません」 二人が振り返る。 誰もいない。 ただ、湖の水面だけが静かに揺れていた。 「今、誰かいたよな?」 二人は急いで車へ戻った。 そしてエンジンをかけようとした、その時。 助手席に座っていた男が、突然黙り込んだ。 「……どうした?」 男はフロントガラスの先を指差した。 湖のほとりに、人が立っていた。 白っぽい服を着た女性だった。 こちらに背を向け、じっと湖を見つめている。 「誰だよ……あんなところに」 運転席の男がクラクションを鳴らした。 女性は動かない。 もう一度鳴らす。 それでも動かない。 やがて女性が、ゆっくりと振り返った。 しかし―― 顔が見えなかった。 髪が顔全体を覆っていたのだ。 そして次の瞬間。 女性の姿が消えた。 「……え?」 二人が慌てて車を降りる。 だが、そこには誰もいない。 不思議だった。 女性が立っていた場所は湖までかなり距離がある。 歩いて逃げたとしても、そんな短時間で姿を消せる場所ではなかった。 二人は恐ろしくなり、すぐに車を走らせた。 しばらくして、助手席の男がスマートフォンを確認した。 肝試しの記念に撮影していた動画に、さっきの女性が映っていた。 二人は恐る恐る再生した。 そこには、湖の前に立つ女性の姿。 そして動画の最後。 女性が振り返った瞬間、画面が一度だけ暗くなった。 その直後―― 画面の端に、もう一人の人影が映っていた。 女性のすぐ後ろ。 まるで水の中から這い上がってきたような、濡れた人影だった。 二人はその映像を二度と見返さなかったという。 それ以来、彼らは古洞ダムには近づい...

ホテルあとりあ――富山の廃ホテルに残る声

富山県の山間部。 人通りの少ない道を進んだ先に、かつて営業していたという一軒のホテルがある。 名前は「ホテルあとりあ」。 今では長い間使われておらず、建物の壁は黒ずみ、窓ガラスのいくつかは割れている。 昼間でも薄暗く、周囲には木々が生い茂っていた。 このホテルには、昔から妙な噂があった。 「夜になると、廊下を歩く女の姿を見る」 そして、誰もいないはずの客室から、時々電話の音が聞こえるという。 ある夜、二人の若者がホテルの近くまでやって来た。 建物の中を外から眺めていると、突然――。 ジリリリリ……。 静まり返ったホテルの中から、電話の音が響いた。 二人は顔を見合わせた。 「……まだ電話があるのか?」 音は一階ではなく、二階から聞こえているようだった。 二人は恐る恐る建物の中へ入った。 廊下には古びたカーペット。 壁には剥がれかけた壁紙。 そして、何年も使われていないはずなのに、二階の奥から再び電話の音が鳴った。 ジリリリリ……。 音を追っていくと、一つの客室の前で止まった。 ドアには、かすかに「203」という文字が残っている。 片方がドアに手をかけた。 すると――。 中から女性の声がした。 「……遅かったね」 二人は凍りついた。 当然、中に人がいるはずがない。 それでも声は続いた。 「ずっと……待ってた」 二人は慌てて廊下を走った。 階段を駆け下り、外へ飛び出す。 そして車に乗り込もうとした、その時だった。 建物の二階を見ると、割れた窓の向こうに女が立っていた。 白い服を着て、こちらをじっと見ている。 二人は急いで車を走らせた。 しかし、その夜から一人の携帯電話に奇妙な着信が入るようになった。 着信時刻は、毎晩午前2時03分。 番号は表示されない。 最初は無視していた。 ところが三日目。 電話に出てしまった。 「……もしもし?」 返事はない。 ただ、かすかな雑音の奥から、 「……部屋、まだ空いてるよ」 という女性の声が聞こえた。 男は慌てて電話を切った。 翌朝、携帯電話を確認すると、着信履歴にはその電話が残っていなかった。 そして最後に、男がもう一度だけホテルあとりあを見に行ったという。 昼間の明るい時間だった。 建物の前まで来た男は、二階の203号室を見上げた。 すると窓ガラスに、内側から文字が書かれていた。 「また来てね」 その文字を見た瞬間、男の携帯電話が鳴っ...

南富山駅地下道――黒い染みの女

富山県富山市。 南富山駅の近くには、幹線道路の下を通る短い地下道がある。 駅を利用する人にとっては、道路を渡るための便利な近道。 しかし、地元では昔から、そこを避ける人がいるという。 理由は――地下道にまつわる、ひとつの噂だった。 「夜に一人で通ると、女の声が聞こえる」 そしてもうひとつ。 「壁に残った黒い染みを見てはいけない」 ある冬の夜。 終電近くまで仕事をしていた男が、駅へ向かって歩いていた。 時計を見ると、午後11時を過ぎている。 普段なら少し遠回りして信号を渡るところだったが、その日は疲れていた。 「今日は地下道でいいか……」 男は階段を下りた。 地下道の中は静まり返っていた。 聞こえるのは、自分の靴音だけ。 コツ……。 コツ……。 コツ……。 やがて、男は地下道の壁に黒い染みがあることに気づいた。 「……なんだ、これ」 煤のような黒い跡だった。 男が立ち止まった、その瞬間。 ――うぅ……。 どこからか、かすかな声が聞こえた。 男は顔を上げた。 「……誰かいるんですか?」 返事はない。 しかし、数秒後。 ――苦しい……。 今度は、はっきり聞こえた。 男の背中に冷たい汗が流れた。 声は、地下道の奥から聞こえてくる。 逃げようとした男は、出口へ向かって歩き始めた。 だが―― コツ……。 背後から、もう一つの足音が聞こえた。 男が歩けば、後ろも歩く。 立ち止まれば―― 足音も止まる。 恐る恐る振り返る。 そこには誰もいない。 ただ、薄暗い地下道の壁だけが見えていた。 男は再び歩き出した。 すると突然、背後から女の声がした。 「……待って」 男は振り返らなかった。 「待って……」 声が近づいてくる。 「ねえ……」 男は必死に走った。 そして出口の階段を駆け上がろうとした、そのとき。 地下道の壁に、一瞬だけ人影が映った。 長い髪。 うつむいた顔。 そして―― 顔の一部が、黒く焼けただれていた。 男は悲鳴を上げ、階段を駆け上がった。 そのまま駅まで走り、振り返ることはなかった。 翌日。 男は昨夜のことを確かめるため、もう一度地下道を訪れた。 昼間の地下道は明るく、何もおかしなところはない。 「あれは疲れていただけだったのか……」 そう思いながら歩いていると、例の黒い染みが目に入った。 男は足を止めた。 そして気づいた。 昨日よりも―― 黒い染みが少しだけ大きくなってい...

寺家トンネル――出口に立つ女

深夜、友人たちと車で山道を走っていた。 目的地は、地元で「寺家トンネル」と呼ばれている古いトンネルだった。 そこには昔から、こんな噂があった。 ――夜中にトンネルを通ると、後部座席に知らない女が座っている。 もちろん、誰も本気にはしていなかった。 午前一時過ぎ。 車のライトが、暗闇の中に古びたトンネルの入口を照らした。 「行ってみようぜ」 そう言って、車はゆっくりとトンネルへ入った。 中は異様に静かだった。 エンジン音だけが壁に反響している。 すると突然、後部座席から、 「……コン、コン」 と、小さな音が聞こえた。 「何の音?」 全員が振り返った。 しかし、そこには誰もいない。 気のせいだと思い、車を走らせる。 その直後だった。 運転していた友人が、青ざめた顔でつぶやいた。 「……今、トンネルの出口に誰か立ってなかった?」 前を見る。 確かに、出口付近に白い服を着た女が立っていた。 車が近づく。 だが、女は動かない。 そして、ライトが女を照らした瞬間―― 姿が消えた。 「……え?」 車内が静まり返る。 そのとき、後ろから女性の声がした。 「……ここから出られないの?」 全員が凍りついた。 声がしたのは、誰も座っていないはずの後部座席。 恐る恐るバックミラーを見る。 そこには―― 濡れた髪を垂らした女が、座っていた。 女はじっとこちらを見つめていた。 そして、ゆっくりと笑った。 「……出口、もうないよ」 その瞬間、車のエンジンが突然止まった。 ライトも消える。 完全な暗闇。 誰も声を出せなかった。 数秒後。 車の外から、 「……コン、コン」 また音がした。 今度は、窓を叩く音だった。 一回。 二回。 三回。 そして最後に―― 「……開けて」 女性の声が響いた。 翌朝、トンネルの近くで一台の車が発見された。 車内には誰もいなかった。 ただ、後部座席の窓には、内側から指でなぞったような文字が残されていた。 ――「まだ、出口を探してる」 それ以来、夜の寺家トンネルでは、 トンネルを抜けたはずなのに、何度も同じ場所へ戻ってくるという噂が囁かれるようになった。 そして一番怖いのは―― そのとき車の後部座席を見ると、 知らない女が、必ず座っているという。

大川寺遊園地――閉園した遊園地から聞こえる声

富山県の山あいに、かつて子供たちの歓声で賑わっていた遊園地があった。 その名は――大川寺遊園。 ジェットコースターや観覧車など、たくさんの遊具が並び、休日になると家族連れで賑わっていたという。 しかし、時代が変わるにつれて客足は減り、1996年、遊園地は閉園した。 それから長い年月が流れた。 遊具は撤去され、かつての賑やかな面影は消えていった。 ところが、閉園後、この場所では奇妙な噂が囁かれるようになった。 「夜になると、子供の笑い声が聞こえる」 「誰もいないはずなのに、人の気配がする」 そして、いつしかこんな噂まで広がった。 ――少女の霊が現れる。 ある夏の夜。 一人の男が、遊園地跡の近くを車で通りかかった。 時刻は午前1時を過ぎていた。 周囲にはほとんど明かりがなく、車のヘッドライトだけが暗闇を照らしている。 すると突然、 「……あはは……」 遠くから、子供の笑い声が聞こえた。 男は思わずアクセルから足を離した。 空耳だろう。 そう思った。 しかし、しばらくすると、 「……あはははは……」 今度は、はっきり聞こえた。 しかも声は、少しずつ近づいている。 男は車を停め、窓を閉めた。 静寂が戻った。 ところが数秒後―― コン…… コン…… 誰かが車の窓を叩いた。 男は凍りついた。 外を見る。 誰もいない。 もう一度、 コン…… 今度は反対側の窓から音がした。 恐る恐るバックミラーを見る。 そこには―― 白い服を着た小さな女の子が立っていた。 俯いているため、顔は見えない。 男が振り返った瞬間、少女の姿は消えていた。 「……今のは、何だったんだ?」 そう呟いた直後だった。 車内の後部座席から、 「ねえ……」 小さな声が聞こえた。 男の全身から血の気が引いた。 ゆっくりと振り返る。 そこには誰もいない。 だが、座席には小さな水滴がいくつも落ちていた。 そして、その水滴の先には―― 小さな裸足の足跡があった。 後部座席から、運転席へ。 一歩。 また一歩。 足跡は男のすぐ後ろまで続いていた。 そして最後の一歩だけが、運転席の真横で止まっていた。 男は車を急発進させ、その場から逃げた。 翌朝。 恐る恐る車を確認すると、後部座席には何もなかった。 ただ、窓ガラスの内側に、小さな指で書かれたような文字が残っていた。 ――「もう一回、遊ぼう」 男は二度と、その場所へ近づかなかったと...