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見沼自然公園――池の向こうにいる女

夜の見沼自然公園は、昼間とはまるで別の場所になる。 昼間なら、池の周りを散歩する人や、鳥の声を聞きながらベンチで休む人の姿がある。 だが、日が落ちてから公園に入る人は少ない。 ある男性が、仕事帰りに公園の近くを車で通ったときのことだった。 時計を見ると、午後11時を過ぎていた。 ふと池の方向を見ると、暗闇の中に人影が立っている。 「こんな時間に……?」 気になった男性は、車を停めて少しだけ様子を見ることにした。 池のほとりに立っていたのは、白っぽい服を着た女だった。 背中を向けたまま、じっと水面を見つめている。 声をかけようか迷っていると、女が突然こちらを振り返った。 顔は暗くてよく見えない。 それでも、男性にはなぜか―― 「笑っている」 ように見えた。 怖くなった男性は、すぐに車へ戻った。 そしてエンジンをかけ、バックミラーを見た。 そこには誰もいない。 「気のせいだったのか……」 そう思いながら車を走らせた。 しかし、公園を離れてしばらくすると、後部座席から小さな音が聞こえた。 ――ポタッ。 水滴が落ちるような音だった。 男性は気になって車を停め、後ろを確認した。 何もない。 ところが、座席には濡れた跡が残っていた。 しかも、その水滴は一つではなかった。 後部座席から運転席へ向かうように、 濡れた足跡が続いていた。 男性は慌てて車を降りた。 その瞬間、スマートフォンが鳴った。 画面を見ると、知らない番号から着信が入っている。 恐る恐る電話に出る。 すると、何も言わずに、 「……返して」 という女の声が聞こえた。 男性には、その意味が分からなかった。 「何をですか?」 そう聞き返した瞬間―― 電話の向こうから、 池の水音が聞こえた。 そして、耳元で女が囁いた。 「……私の場所」 そこで電話は切れた。 翌朝、男性はもう一度、公園の池を訪れた。 昨夜、女が立っていた場所を見る。 そこには古びたベンチが一つ置かれていた。 そしてベンチの上には、誰かが置いていったような白い花が一輪。 男性が近づくと、花の下から小さな紙が見えた。 そこには、震えるような文字で、 「ここに座らないで」 と書かれていた。 それ以来、男性は夜の見沼自然公園には二度と近づいていないという。 そして今でも、池の周りを歩いていると、 誰もいないはずの水面から、 ――ポタッ。 ――ポタッ。 と、水滴のよ...

見沼田んぼ――帰れない農道

夜の見沼田んぼには、街灯の少ない細い農道がいくつも伸びている。 昼間なら、田んぼの向こうに住宅地や道路が見える。 しかし夜になると、景色は一変する。 ある晩、男が一人でその農道を歩いていた。 近道のつもりだった。 スマートフォンの地図を見ると、あと十分ほどで大きな道路に出るはずだった。 ところが、しばらく歩いても景色が変わらない。 田んぼ。 水路。 そして、暗い農道。 「……おかしいな」 男は立ち止まり、もう一度地図を確認した。 すると、地図上では自分の現在地が、なぜか田んぼの真ん中になっていた。 道は確かに足元にある。 それなのに、地図には道が表示されていない。 その時だった。 背後から、 「すみません……」 小さな声が聞こえた。 男が振り返る。 誰もいない。 ただ、遠くの田んぼの中に、白っぽいものが立っている。 人のようにも見えた。 男は目を凝らした。 すると、その白いものがゆっくりこちらへ向かって歩き始めた。 一歩。 また一歩。 だが、妙だった。 田んぼの中を歩いているはずなのに、足元がまったく沈まない。 男は怖くなり、来た道を戻ろうとした。 ところが――。 数分歩いたところで、見覚えのある場所に出た。 古い標識。 曲がった電柱。 そして、小さな水路。 「……ここ、さっき通った」 そう思った瞬間、背後からまた声がした。 「すみません……」 今度は、すぐ耳の後ろだった。 男は振り返らなかった。 ただ無我夢中で走った。 やがて明るい道路に出た。 時計を見ると、農道に入ってから一時間以上が経っていた。 しかし男の感覚では、歩いていたのは十五分ほどだった。 翌日。 気になった男は、昼間にもう一度その場所を訪れた。 だが、昨夜歩いたはずの農道は見つからなかった。 地図にも載っていない。 近所の人に聞いても、 「そんな道、昔からないですよ」 と言われただけだった。 そして、その日の夜。 男のスマートフォンに、知らない番号から一件のメッセージが届いた。 そこには短く、 「昨日、どうして帰ってしまったんですか?」 とだけ書かれていた。 添付されていた写真を見ると―― 暗い農道の先に、男の後ろ姿が写っていた。 そしてそのすぐ後ろには、 白い服を着た何かが立っていた。

大宮公園――夜のベンチ

夜の大宮公園は、昼間とはまるで違う。 昼には家族連れや散歩をする人で賑わう園内も、日付が変わる頃になると、人の気配がほとんどなくなる。 ある男性が、深夜に公園を歩いていた。 特に目的はなかった。 ただ、眠れず、静かな場所を歩きたくなっただけだった。 園内をしばらく歩いていると、街灯の下に一つのベンチが見えた。 男性はそこに腰を下ろした。 すると―― 「……隣、いいですか?」 突然、背後から女の声がした。 驚いて振り返る。 しかし、誰もいない。 気のせいだと思い、再び前を向いた。 その瞬間だった。 ベンチの隣に、誰かが座ったように沈み込んだ。 「……え?」 男性は立ち上がろうとした。 だが、身体が動かない。 隣を見ることもできなかった。 すると耳元で、もう一度声がした。 「どうして……私を置いていったの?」 男性には、まったく心当たりがなかった。 怖くなって無理やり立ち上がり、振り返る。 そこには誰もいない。 ただ、ベンチだけが静かに残っていた。 男性はそのまま公園を出た。 翌朝、昨夜のことを確かめようと、もう一度同じ場所を訪れた。 そしてベンチを見ると、座面に濡れた跡が残っていた。 雨は降っていなかった。 さらに不思議なことに―― その濡れた跡は、 一人分ではなく、二人分 あった。 それ以来、男性は夜の大宮公園には近づかなくなったという。 そして今でも、深夜にあのベンチの近くを通ると、 「……隣、いいですか?」 誰もいないはずの場所から、女の声が聞こえることがあるという。 ――もし声を聞いても、 決して振り返ってはいけない。

旧土合村役場跡――夜の役場

山あいに残る、古い役場跡。 昼間に見ると、ただ静かな建物跡にしか見えない。 しかし、地元では昔から、夜になると「誰もいないはずの役場に明かりがつく」という話があった。 ある男性が、深夜にその近くを車で通ったときのことだった。 時計を見ると、午前二時を少し過ぎていた。 周囲には街灯もなく、山の中は真っ暗だった。 ところが、前方にぼんやりとした明かりが見えた。 「あんな時間に誰かいるのか?」 不思議に思った男性は、車を止めた。 明かりは、古い役場跡の窓から漏れているように見えた。 建物は使われていないはずだった。 それでも、窓の向こうには確かに黄色い明かりが揺れている。 男性が車から降りると、山の中に突然、 「カタ……カタ……」 という音が響いた。 誰かが机に向かって、書類を書いているような音だった。 恐る恐る建物へ近づく。 すると、音はぴたりと止まった。 静寂の中、今度は背後から声がした。 「まだ……仕事が残っています」 男性は振り返った。 誰もいない。 それでも、すぐ耳元で聞こえたような声だった。 慌てて車へ戻ろうとした、そのとき。 建物の中から、 「カタ……カタ……」 また、机を叩くような音が聞こえ始めた。 そして窓を見ると、さっきまであった明かりが消えている。 代わりに、暗い窓の内側に人影が立っていた。 じっとこちらを見ている。 男性はその場から逃げるように車を走らせた。 それから数日後。 男性は気になって、昼間にもう一度その場所を訪れた。 もちろん、建物の中には誰もいない。 しかし、窓際には古びた机が残されていた。 その机の上には、誰かが置いたような一枚の紙があった。 男性が近づいて見る。 紙には、何も書かれていなかった。 ただ、中央に赤い印だけが押されていた。 そして、その下には小さな文字で、 「本日の業務 未完了」 と書かれていた。 男性は二度と、その場所へ夜に近づくことはなかったという。 今も山の静けさの中に残る、旧土合村役場跡。 もし深夜、そこを通ることがあったとしても―― 窓に明かりが見えても、決して確認しに行ってはいけない。 その明かりは、今も誰かが「仕事」を続けている証なのかもしれない。

火の玉不動尊・お女郎地蔵――夜道に立つ女

その場所では、夜になると地蔵の前を通ってはいけない。 地元では昔から、そんな言い伝えがあった。 特に雨の降る夜。 地蔵の前を通ると、どこからともなく女の声が聞こえ、その声について行った者は、二度と同じ道を戻れなくなるという。 ある晩、一人の男がその場所を訪れた。 時刻は午前一時を過ぎていた。 周囲には街灯が少なく、雨に濡れた道は真っ黒に沈んでいる。 男が歩いていると、少し先に小さな地蔵が見えた。 「これがお女郎地蔵か……」 そう呟いた瞬間だった。 地蔵の横に、ぼんやりと白いものが浮かんだ。 最初は霧だと思った。 だが、それはゆっくりと人の形になっていった。 白い着物を着た女だった。 女は男に背を向けたまま、じっと立っている。 「……誰?」 男が声をかける。 すると女の首だけが、ゆっくりとこちらを向いた。 顔は見えなかった。 長い髪が垂れ下がり、目も鼻も口も、すべて隠れている。 そして―― 「……帰れない」 小さな声が聞こえた。 男は恐ろしくなり、急いでその場を離れた。 しかし、何度歩いても同じ地蔵の前に戻ってきてしまう。 右へ曲がっても、左へ曲がっても、気がつけばまた地蔵がある。 そのたびに、女の姿が少しずつ近くなっていた。 やがて、遠くの空に赤い光が浮かんだ。 火の玉だった。 ゆっくりと宙を漂いながら、男の頭上へ近づいてくる。 火の玉が地蔵の前まで来た瞬間―― 女の姿が消えた。 そして耳元で、はっきりと声がした。 「……やっと、見つけた」 男は振り返らなかった。 ただ無我夢中で走り続けた。 翌朝。 近所の人が地蔵の前を通ると、雨に濡れた地面に、男のものと思われる足跡が残っていた。 不思議なことに、その足跡は地蔵の前まで続いていた。 しかし―― そこから先には、一歩も残っていなかった。 それ以来、雨の降る深夜になると、地蔵の近くで女の声を聞いたという話が増えた。 そして時々、地蔵の上空には、赤い火の玉が浮かぶという。 それを見ても、決して声をかけてはいけない。 もし女が振り返ったら―― その夜から、あなたの帰り道にも「知らない道」が一本増えてしまうかもしれない。

焼米坂――坂の途中で呼ぶ声

その坂には、昔から妙な噂があった。 夜になると、坂の途中から誰かに名前を呼ばれる。 ただし、声の主を探してはいけない。 そう言われていた。 ある秋の夜、私は友人と二人で焼米坂を訪れた。 時計は午前一時を過ぎていた。 街灯の少ない坂道を歩いていると、周囲の音が急に消えた。 車の音も、虫の声も聞こえない。 「……静かすぎないか?」 友人がそう言った直後だった。 坂の上から、小さな声が聞こえた。 「……ねえ」 女の声だった。 私たちは足を止めた。 「誰かいる?」 友人が声を返す。 すると、少し離れた場所から、 「……こっち」 と、また声がした。 声のする方向を見る。 だが、そこには誰もいない。 ただ暗い坂道が続いているだけだった。 「行くなよ」 私は友人の腕をつかんだ。 すると今度は、すぐ耳元で声がした。 「……なんで来ないの?」 二人とも凍りついた。 振り返っても、誰もいない。 しかし、足元を見ると妙なことに気づいた。 私たちの前に、濡れた足跡が続いていた。 裸足のような小さな足跡だった。 それは坂を下ってきて、私たちの足元で途切れている。 「帰ろう」 友人が震えた声で言った。 私たちは急いで坂を下った。 ところが、いくら歩いても坂が終わらない。 同じ街灯。 同じ塀。 同じ曲がり角。 まるで同じ場所を何度も歩いているようだった。 そのとき、後ろから声がした。 「……待って」 今度は、友人の声だった。 私は反射的に振り返ろうとした。 だが、隣にいる友人が私の肩を強くつかんだ。 「振り返るな」 「え?」 友人は青ざめていた。 そして、震えながら言った。 「今の声……俺じゃない」 その瞬間、背後から二人分の足音が聞こえた。 一歩。 また一歩。 私たちの歩く速度に合わせるように、ゆっくり近づいてくる。 そして最後に、 耳元で女の声がした。 「……一緒に帰ろうよ」 次の瞬間、街灯が消えた。 気がつくと、私たちは坂の入口に立っていた。 それ以来、二人とも焼米坂には近づいていない。 ただ、友人は今でも時々こう言う。 「あの夜、最後まで聞こえてたんだ」 「何が?」 そう聞くと、友人は黙り込む。 そして、しばらくして小さな声で答える。 「俺たちが坂を下りてたとき……後ろから聞こえてた足音」 「うん」 「……三人分だったんだよ」 あの夜、私たちは二人だった。 では、もう一人は誰だったのか。...

神池――水面に映らない女

埼玉の山あいに、ひっそりと存在する「神池」。 昼間に訪れれば、ただ静かな池にしか見えない。 しかし、この池には昔から妙な噂があった。 「夜、池を覗いてはいけない」 理由を知る者は、ほとんどいない。 ある夏の夜、一人の男が神池を訪れた。 時刻は午前一時を過ぎていた。 懐中電灯を手に池のほとりまで歩いていくと、周囲には虫の声すらなかった。 風もない。 水面は鏡のように静まり返っている。 男は何気なく池を覗き込んだ。 すると―― 水面に、自分の顔が映っていた。 だが、すぐに違和感を覚えた。 自分の後ろに、 白い服を着た女が立っている。 驚いて振り返る。 誰もいない。 もう一度、水面を見る。 やはり女がいる。 しかも今度は、先ほどより近い。 男は怖くなり、その場を離れようとした。 その瞬間、水面に映る女がゆっくりと顔を上げた。 そして、男ではなく―― 池の奥を指差した。 男は反射的にその方向を見る。 何もない。 しかし、背後から小さな声が聞こえた。 「……まだ、帰らないで」 振り返っても誰もいない。 慌てて走り出した男は、車まで戻った。 エンジンをかけ、池から離れようとしたその時だった。 バックミラーに、池の姿が映った。 そこには誰もいないはずなのに、 水面の上に、白い女が立っていた。 そして女は、こちらを見ながらゆっくりと笑っていた。 翌朝、男はもう一度池を訪れた。 昨夜の出来事が本当だったのか確かめるためだった。 池は何事もなかったように静かだった。 だが、岸辺の泥の上には―― 濡れた裸足の跡が、池から山道へ向かって続いていた。 その足跡は男の車が停めていた場所まで続き、 そこで突然、途切れていた。 それ以来、男は二度と神池には近づいていない。 そして地元では今でも、こんな言葉が囁かれている。 「神池の水面に、自分以外の誰かが映ったら……絶対に振り返ってはいけない」

道満グリーンパーク――『土手の向こうから』

夏の夜、友人と二人で道満グリーンパークへ行った。 昼間なら、家族連れやバーベキューを楽しむ人で賑わう場所だ。 しかし、日付が変わる頃になると、人の気配はほとんどなくなる。 その夜、俺たちは土手に車を停め、彩湖を眺めながら話をしていた。 午前一時を過ぎた頃だった。 突然、 「……ザッ……ザッ……」 土手の下から、誰かが歩いてくるような音が聞こえた。 「誰かいるんじゃない?」 友人がそう言った。 俺も目を凝らした。 暗闇の中に、人影がある。 こちらへ向かって歩いているようだった。 だが、おかしい。 街灯に照らされているのに、顔が見えない。 そして、その人影は俺たちのいる場所まで来ることなく、途中で立ち止まった。 「……おい」 友人が小声で言った。 その瞬間だった。 背後から、 「……帰れ」 男の声がした。 俺たちは同時に振り返った。 誰もいない。 ただ、草むらが風で揺れているだけだった。 「今、聞こえたよな?」 友人が震えた声で言った。 俺は返事をしなかった。 なぜなら、さっきまで遠くにいた人影が、いつの間にか消えていたからだ。 急いで車へ戻ろうとした。 そのとき―― 背後から、また足音が聞こえた。 「ザッ……ザッ……ザッ……」 今度は明らかに近い。 俺たちは振り返らず、走った。 車に乗り込み、エンジンをかける。 そしてライトを点けた。 その瞬間、フロントガラスの向こうに―― 男が立っていた。 顔は真っ暗で見えない。 ただ、こちらを見ている。 俺が慌てて車を発進させると、男の姿は一瞬で消えた。 翌朝。 怖さを紛らわせるため、昨夜撮った写真を確認してみた。 何枚か撮った中に、土手を写した写真が一枚あった。 そこには何も写っていない。 ……そう思った。 拡大するまでは。 写真の端。 暗い土手の上に、白い顔の男が立っていた。 そして、その男の口元だけが―― 「帰れ」 と言っているように、大きく開いていた。 さらに恐ろしかったのは、その写真の撮影時刻だった。 俺たちが車へ逃げ込む、 三分前。 つまり―― 写真を撮ったとき、俺たちはまだその男を見ていなかった。 男のほうが先に、 俺たちを見ていたのだ。

荒川彩湖公園――土手の向こうから聞こえる声

夜の荒川彩湖公園は、昼間とはまるで別の場所だった。 昼間なら、子どもたちの声や自転車の音が聞こえる。 彩湖の水面には街の明かりがぼんやり映り、土手にはランニングをする人もいる。 だが、午前0時を過ぎると、あたりから人の気配が消える。 その夜、私は一人で公園を歩いていた。 特に理由はなかった。 ただ、夜の公園を歩くのが好きだった。 駐車場を抜け、土手へ向かって歩いていると、背後から、 「……すみません」 と声がした。 私は振り返った。 誰もいない。 「気のせいか」 そう呟いて、再び歩き始めた。 すると今度は、はっきり聞こえた。 「待ってください」 男の声だった。 しかも、さっきより近い。 私は立ち止まった。 後ろには誰もいない。 左右を見ても、人影はない。 風の音だけが、草むらをざわざわと揺らしていた。 怖くなった私は、足早に土手を上った。 そして、彩湖の方を見た。 暗い水面の向こうに、ひとりの男が立っていた。 黒っぽい服を着ている。 こちらに背を向けているようだった。 「誰かいる……」 そう思った瞬間。 男がゆっくり振り返った。 顔は、暗くてよく見えなかった。 ただ、こちらを見ていることだけは分かった。 私はその場を離れようとした。 その瞬間、男が言った。 「……そっちは違う」 意味が分からなかった。 「え?」 思わず聞き返した。 すると男は、今度は少し大きな声で言った。 「そっちは……帰れない」 背筋が凍った。 私は走った。 土手を下り、来た道を戻る。 後ろを振り返ることはできなかった。 だが、確かに聞こえていた。 ザッ。 ザッ。 草を踏む音。 誰かが後ろから歩いてくる。 私はさらに速度を上げた。 すると突然、 「待って!」 耳元で男の声がした。 私は悲鳴を上げて振り返った。 誰もいない。 それでも足音だけは続いていた。 ザッ。 ザッ。 ザッ。 そして駐車場まで戻ったところで、ようやく足音が止まった。 車に乗り込み、震える手でエンジンをかける。 バックミラーを見た。 誰もいない。 私はそのまま公園を出た。 翌朝。 昨夜のことが気になって、スマートフォンで荒川彩湖公園について調べた。 すると、ネット上には奇妙な噂がいくつも出てきた。 「夜に男性の声を聞いた」 「後ろから男性が歩いてくる気配がした」 「誰もいない場所から声が聞こえた」 私は画面を見つめた。 そして、あ...

秋ヶ瀬公園――夜の公園で聞こえた声

夏の終わりの夜。 人の気配がほとんどなくなった秋ヶ瀬公園に、数人の若者が訪れた。 昼間は家族連れやランナーで賑わう場所だが、夜になると雰囲気が一変する。 街灯の少ない道を歩いていると、周囲から聞こえるのは木々のざわめきと、遠くを走る車の音だけだった。 「そろそろ帰ろうか」 そう話していた時だった。 林の奥から、 「……うぇ……うぇ……」 という声が聞こえた。 全員が足を止めた。 「今の、何?」 誰も答えない。 耳を澄ます。 すると、また聞こえた。 「うぇ……うぇ……」 まるで赤ん坊が泣いているような声だった。 声のする方向へスマートフォンのライトを向ける。 しかし、そこには誰もいない。 ただ暗い木々が並んでいるだけだった。 「誰かいるんじゃない?」 そう言って近づこうとした瞬間。 泣き声が止まった。 静寂が戻る。 そして―― 今度は背後から聞こえた。 「……うぇ……」 全員が振り返った。 当然、誰もいない。 「もう帰ろう」 誰かがそう言った。 そのまま急いで駐車場へ戻った。 車に乗り込み、エンジンをかける。 その時だった。 後部座席から、 コン。 コン。 コン。 と、窓を叩く音がした。 誰も座っていない。 「……今、後ろから音したよね?」 返事はなかった。 もう一度、 コン。 コン。 コン。 今度ははっきり聞こえた。 恐る恐るバックミラーを見る。 暗い後部座席。 そこには何もない。 しかし、窓ガラスの内側に―― 小さな手形が残っていた。 「これ……外じゃない」 誰かが震える声で呟いた。 確かに手形は、窓の 内側 についていた。 その瞬間、車内に赤ん坊の泣き声が響いた。 「うぇぇ……」 全員が凍りついた。 声は車内から聞こえている。 だが、どこを探しても赤ん坊などいない。 急いで車を発進させ、公園を離れた。 しばらく走ると、ようやく泣き声が消えた。 誰も口を開かなかった。 そして翌日。 撮影していたスマートフォンの動画を確認すると、奇妙なことに気づいた。 公園の林を歩いている途中、一瞬だけ画面の端に白い影が映っていた。 それは人の姿に見えた。 しかし、よく見ると―― 地面から少し浮いていた。 そして動画の最後。 車に乗り込む直前の映像には、誰もいないはずの後部座席から、 小さな声が録音されていた。 「……帰らないで」 その声を聞いた瞬間、 撮影していた全員が黙り込んだ...