熊野神社――夜の境内で呼ぶ声
夜の熊野神社には、できるだけ近づかないほうがいい。 そんな話を聞いたのは、大学生の頃だった。 友人と二人で、夜の神社を見に行ったことがある。 昼間は普通の神社だった。 鳥居をくぐると、長い参道が続き、その先に小さな社殿がある。 しかし、夜になると雰囲気がまるで違った。 街灯は少なく、木々に囲まれた境内は、懐中電灯を消すと何も見えない。 「本当に何か出るのかな」 友人が笑いながら言った。 そのときだった。 参道の奥から、 ――カン……カン…… と、何かを叩くような音が聞こえた。 「今の聞こえた?」 二人で顔を見合わせる。 音は一度だけだった。 気のせいだと思い、そのまま歩いていった。 社殿の前まで来たところで、友人が突然立ち止まった。 「……誰かいる」 見ると、社殿の脇にある木の陰に、人影のようなものが立っていた。 黒い服を着た人が、こちらを向いている。 「こんばんは」 友人が声をかけた。 だが、人影は動かなかった。 その瞬間、 「……おいで」 小さな声が聞こえた。 私は背筋が凍った。 声は、目の前の人影からではなかった。 ――背後から聞こえた。 振り返る。 誰もいない。 しかし、友人の顔を見ると、明らかに怯えていた。 「今……後ろから声したよな?」 私は黙って頷いた。 そのとき、社殿の脇にいた人影が消えていた。 「帰ろう」 友人がそう言った。 二人で急いで参道を戻る。 ところが、鳥居が見えてきたところで、また声がした。 「……おいで」 今度は、はっきり聞こえた。 しかも声は、すぐ後ろだった。 振り返ることはできなかった。 私たちは走って鳥居を抜け、そのまま車まで戻った。 車に乗り込んでエンジンをかける。 すると友人が突然、 「待って」 と言った。 「どうした?」 友人は震える手で、後部座席を指差した。 そこには誰もいない。 ただ、座席の中央に、 濡れた足跡が二つ残っていた。 車の中には、雨に濡れた人間など乗っていない。 そして、その足跡は後部座席からではなく―― トランクのほうから、運転席へ向かって続いていた。 その夜以来、私たちは熊野神社へ行っていない。 ただ、友人は今でも言う。 「あのとき、もし振り返っていたら……」 その先だけは、決して話そうとしない。 そして不思議なことに、あの夜からしばらくの間、友人の家では毎晩のように、 ――カン……カン…… 何かを叩く音...