火の玉不動尊・お女郎地蔵――夜道に立つ女
その場所では、夜になると地蔵の前を通ってはいけない。
地元では昔から、そんな言い伝えがあった。
特に雨の降る夜。
地蔵の前を通ると、どこからともなく女の声が聞こえ、その声について行った者は、二度と同じ道を戻れなくなるという。
ある晩、一人の男がその場所を訪れた。
時刻は午前一時を過ぎていた。
周囲には街灯が少なく、雨に濡れた道は真っ黒に沈んでいる。
男が歩いていると、少し先に小さな地蔵が見えた。
「これがお女郎地蔵か……」
そう呟いた瞬間だった。
地蔵の横に、ぼんやりと白いものが浮かんだ。
最初は霧だと思った。
だが、それはゆっくりと人の形になっていった。
白い着物を着た女だった。
女は男に背を向けたまま、じっと立っている。
「……誰?」
男が声をかける。
すると女の首だけが、ゆっくりとこちらを向いた。
顔は見えなかった。
長い髪が垂れ下がり、目も鼻も口も、すべて隠れている。
そして――
「……帰れない」
小さな声が聞こえた。
男は恐ろしくなり、急いでその場を離れた。
しかし、何度歩いても同じ地蔵の前に戻ってきてしまう。
右へ曲がっても、左へ曲がっても、気がつけばまた地蔵がある。
そのたびに、女の姿が少しずつ近くなっていた。
やがて、遠くの空に赤い光が浮かんだ。
火の玉だった。
ゆっくりと宙を漂いながら、男の頭上へ近づいてくる。
火の玉が地蔵の前まで来た瞬間――
女の姿が消えた。
そして耳元で、はっきりと声がした。
「……やっと、見つけた」
男は振り返らなかった。
ただ無我夢中で走り続けた。
翌朝。
近所の人が地蔵の前を通ると、雨に濡れた地面に、男のものと思われる足跡が残っていた。
不思議なことに、その足跡は地蔵の前まで続いていた。
しかし――
そこから先には、一歩も残っていなかった。
それ以来、雨の降る深夜になると、地蔵の近くで女の声を聞いたという話が増えた。
そして時々、地蔵の上空には、赤い火の玉が浮かぶという。
それを見ても、決して声をかけてはいけない。
もし女が振り返ったら――
その夜から、あなたの帰り道にも「知らない道」が一本増えてしまうかもしれない。
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