旧長野隧道――出口に立つ影

夜中の午前一時を過ぎたころ、男は旧長野隧道を訪れた。

古い隧道の周辺は驚くほど静かだった。

車のエンジンを切ると、聞こえてくるのは風の音と、遠くで鳴く動物の声だけ。

男は懐中電灯を手に、隧道の中へ歩いていった。

入口から数十メートル進んだところで、妙なことに気づいた。

足音が、一つ多い。

「……コツ、コツ」

自分が歩く音に合わせて、少し遅れて別の足音が聞こえてくる。

最初は靴音の反響だと思った。

しかし、立ち止まると――

後ろの足音だけが、もう一度、

「コツ……」

と鳴った。

男は振り返った。

当然、誰もいない。

懐中電灯で隧道の奥と入口を照らしても、人影は見えなかった。

気味が悪くなった男は、急いで出口へ向かった。

ところが、いくら歩いても出口が近づかない。

さっきまで見えていたはずの小さな光が、なぜか遠ざかっている。

「おかしい……」

男は足を速めた。

その瞬間、後ろからはっきりと足音が聞こえた。

「コツ……コツ……コツ……」

今度は、かなり近い。

男は振り返らず、そのまま走った。

すると前方に、ようやく出口らしき明かりが見えてきた。

安心した男は、夢中で走り続けた。

しかし、出口の手前で足が止まった。

そこに誰かが立っていたからだ。

暗い人影だった。

顔は見えない。

男は声をかけることもできず、その場で固まった。

すると、その影がゆっくりと隧道の外へ歩き出した。

男も反射的に後を追った。

ところが――

外へ出た瞬間、影は消えていた。

男は周囲を見回した。

誰もいない。

そして振り返った瞬間、背筋が凍った。

さっきまで歩いてきたはずの隧道の入口が、異様に遠く見えたのだ。

まるで、自分が隧道の中にいる時間だけ、現実の時間とは別に流れていたようだった。

男は急いで車へ戻った。

そしてエンジンをかけようとした、その時。

車の後部座席から、

「コツ……」

という音がした。

男はゆっくりとバックミラーを見た。

誰もいない。

もう一度、

「コツ……コツ……」

今度は、車内から聞こえている。

男は車を飛び出し、その場から逃げた。

後日、明るい時間に車を確認すると、後部座席の窓には、内側から指でなぞったような跡が残っていたという。

そして、その跡は一つだけではなかった。

窓いっぱいに、無数の指の跡がついていた。

まるで――

隧道の中から、何人もの人間が外へ出ようとしていたかのように。

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