江戸伝馬町処刑場跡――夜の石畳
その場所には、昼間なら誰も気に留めないような、普通の街の景色が広がっている。
けれど、昔ここが江戸の伝馬町牢屋敷に近く、処刑が行われた場所だったと知ると、同じ景色が少し違って見えてくる。
ある男が、夜遅く、その周辺を歩いていた。
時計を見ると、午前一時を過ぎていた。
人通りはほとんどない。
男が細い道を曲がったときだった。
――カラン。
背後で、小さな金属音がした。
振り返る。
誰もいない。
「気のせいか……」
そう呟いて歩き出す。
すると、
――カラン……カラン……
今度は、はっきり聞こえた。
まるで、誰かが足枷を引きずりながら歩いているような音だった。
男は立ち止まった。
音も止まった。
歩く。
――カラン。
止まる。
――カラン。
どうやら、音は自分の後ろについてきている。
怖くなった男は、振り返らず、そのまま早足で歩いた。
すると突然、耳元で声がした。
「……まだ、帰れぬ」
男は飛び上がった。
慌てて振り返る。
そこには、誰もいない。
ただ、街灯の下に古びた石が一つ落ちていた。
その石を見た瞬間、男は妙な違和感を覚えた。
石の表面には、濡れたような黒い跡がいくつも付いていた。
そして、その中央に――
人の指で書いたような文字があった。
「次は、お前」
男は走った。
交差点を曲がり、明るい通りまで出る。
ようやく人の姿を見つけ、ほっとした。
ところが、そこで男は足を止めた。
ガラス張りの店の前に立っていた老人が、こちらを見ている。
老人は男を見るなり、怯えた顔で呟いた。
「……あんた、後ろにいる人……」
「え?」
男が振り返ろうとすると、老人は首を横に振った。
「見るな」
「何がいるんですか?」
老人は震える声で答えた。
「首を……探してる」
その瞬間。
男の背後から、
――カラン……
足枷の音がした。
そして、耳元でまた声がした。
「……帰れぬ」
男はその場から逃げ出した。
翌朝。
男は昨夜のことを誰にも話さなかった。
ただ、一つだけ妙なことがあった。
家に帰って靴を脱いだとき、靴底に何かが挟まっているのに気づいた。
取り出してみる。
それは、小さな黒い石だった。
表面には、昨夜と同じ文字が刻まれていた。
ただし、今度は違った。
そこには――
「見つけた」
と書かれていた。
それ以来、男は夜になると、自宅の廊下から聞こえる音に悩まされるようになった。
――カラン。
――カラン。
そして毎晩、少しずつ音が近づいてくる。
最初は玄関。
次は廊下。
その次は階段。
昨夜は――
寝室のドアの前だった。
そして今夜。
男が布団の中で息を殺していると、
ドアの向こうから、低い声がした。
「……やっと、帰ってきた」
――カラン。
ドアノブが、ゆっくり回った。
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