旧久栗坂トンネル――「後ろから聞こえる足音」
深夜、車で青森市内から海沿いの道を走っていた。
友人から聞いた話を思い出し、私は旧久栗坂トンネルの近くまで来ていた。
「ここ、夜はやめたほうがいいらしいぞ」
助手席の友人が、冗談半分に言った。
私は笑いながら車を止めた。
トンネルの入口は暗く、周囲には人の気配がまったくない。
懐中電灯を持ち、二人で中へ入る。
数十メートル進んだところで、
――コツ。
後ろから、足音が聞こえた。
「今の、俺たちの音じゃないよな?」
二人とも立ち止まる。
すると、
――コツ……コツ……コツ……
確かに、誰かがこちらへ歩いてくる。
振り返っても、誰もいない。
「風じゃないか?」
そう言って先へ進もうとした瞬間、足音が止まった。
そして今度は、
――コツ。
すぐ後ろで鳴った。
二人で振り返る。
何もいない。
だが、懐中電灯の光が照らした壁には、妙なものがあった。
濡れたような、人間の手形。
しかも一つではない。
壁の両側に、何十個もの手形が続いていた。
「……帰ろう」
友人が小さな声で言った。
来た道を戻り始める。
ところが、出口が見えてこない。
さっきまで数分で歩けたはずの道が、異様に長く感じられる。
そのときだった。
前方から、
――コツ……コツ……コツ……
足音が聞こえた。
「誰かいる!」
私は叫んだ。
しかし友人は青ざめていた。
「違う……」
「何が?」
友人は震える手で、私の後ろを指差した。
「足音……前からじゃない」
耳を澄ます。
確かに足音は前から聞こえている。
だが同時に――
後ろからも聞こえていた。
――コツ……コツ……コツ……
前から。
――コツ……コツ……コツ……
後ろから。
挟まれている。
逃げようとした瞬間、友人が突然立ち止まった。
「……聞こえた」
「何が?」
友人は振り返らずに答えた。
「耳元で……『やっと来た』って」
私は何も聞いていない。
そう言おうとした。
その瞬間――
耳元で、女の声がした。
「……やっと来た」
二人は同時に走り出した。
出口の明かりが見えた。
必死に外へ飛び出し、車まで走る。
そして車に乗り込んだ瞬間、友人が叫んだ。
「待って!」
「何?」
「人数……」
友人は後部座席を見つめていた。
「俺たち、二人だったよな?」
私はゆっくりバックミラーを見た。
暗い後部座席。
誰もいない。
……はずだった。
しかし鏡の隅にだけ、白い顔が映っていた。
こちらを見ながら、口だけがゆっくり動いている。
「……また来てね」
その夜以来、私たちは旧久栗坂トンネルへ近づいていない。
ただ、一つだけ不思議なことがある。
あの日から、車の後部座席に誰も乗せていないのに、
夜になると決まって、
――コツ。
――コツ。
と、誰かが車内を歩くような音が聞こえるのだ。
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