東六甲展望台――夜景の向こう側
夜景を見るのが好きだった私は、仕事が終わった深夜、ひとりで東六甲展望台へ向かった。
山道を登っていくにつれ、街の明かりは少なくなっていく。
やがて展望台に着くと、そこには誰もいなかった。
眼下には神戸や大阪の街が広がり、無数の光がまるで星空のように瞬いている。
「やっぱり綺麗だな……」
そう呟いたときだった。
背後から、
「……すみません」
小さな声が聞こえた。
振り返ったが、誰もいない。
風の音に混じって聞こえたのだろうと思い、再び夜景を眺めた。
すると、今度はすぐ後ろから、
「ここから、街は見えますか?」
とはっきり聞こえた。
驚いて振り返る。
やはり誰もいない。
ただ、展望台の端にあるベンチだけが、妙に気になった。
さっきまで誰も座っていなかったはずなのに、そこに人が座っている。
暗くて顔は見えない。
私は声を掛けることができず、その場を離れようとした。
すると、その人がゆっくり立ち上がった。
そしてこちらを向いた。
顔は見えない。
ただ、街明かりを背にしているのに、その輪郭だけが妙に黒く浮かんでいた。
「……見えないんです」
低い声だった。
「何がですか?」
思わず聞き返してしまった。
すると、その人は展望台の外側を指差した。
「街の明かりは見えるのに……」
少し間を置いて、
「帰る道だけが、見えないんです」
その瞬間、背筋に冷たいものが走った。
私は何も言わず、車へ戻った。
エンジンをかけ、急いで山道を下り始める。
ところが、しばらく走っていると、カーナビがおかしくなった。
現在地を示す矢印が、何度も展望台へ戻ってしまう。
「なんだよ、これ……」
私は構わず走り続けた。
すると、カーブの先に人影が見えた。
慌ててブレーキを踏む。
そこに立っていたのは、さっき展望台にいた人物だった。
私は車の中で息を殺した。
人影は動かない。
ただ、こちらを見ている。
そして突然、車の窓を指差した。
次の瞬間――
助手席の窓から、
「……ここから、街は見えますか?」
あの声が聞こえた。
私はアクセルを踏み込み、その場から逃げた。
それから何度か曲がると、ようやく見慣れた道路へ出ることができた。
自宅に戻った私は、すぐに眠った。
翌朝、車を確認すると、助手席の窓に奇妙なものが残っていた。
内側から指でなぞったように、
「みえない」
と、白く曇った跡が残っていた。
もちろん、私はそこに触れていない。
それ以来、私は夜の展望台へ行っていない。
そして今でも、夜景を見るたびに思う。
あの人が言っていた「帰る道」とは、
いったいどこへ帰る道だったのだろうか――。
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