龍の頭――夜の山道で見てはいけないもの
広島の山間部には、「龍の頭」と呼ばれる場所がある。
昼間に見れば、ただの山道にしか見えない。
しかし、この場所には昔から妙な噂があった。
夜になると、山の中から何か大きなものがこちらを見ているという。
それは人ではない。
獣でもない。
まるで――巨大な龍の頭のようなものだという。
ある夏の夜、私は友人と二人で、その場所を訪れた。
時刻は午前一時を過ぎていた。
車を止めると、周囲は驚くほど静かだった。
風もない。
虫の声すら聞こえない。
「……静かすぎないか?」
友人がそう言った直後だった。
車のライトの先。
木々の間に、何かが浮かんで見えた。
最初は岩だと思った。
だが、よく見ると違う。
大きな顔だった。
二本の角のようなもの。
長く伸びた鼻先。
そして――
こちらを向いた、二つの黒い目。
「……龍?」
私が呟くと、友人は黙ったまま車のライトを消した。
すると、その顔も消えた。
「今の、見たよな?」
友人は答えなかった。
その代わり、震える声で言った。
「帰ろう」
車を走らせようとした、その瞬間。
山の奥から、
ゴリ……ゴリ……
という音が聞こえた。
何か巨大なものが、地面を擦りながら近づいてくるような音だった。
そして突然、
ドンッ――!
車が大きく揺れた。
「何だ!?」
外に出る勇気はなかった。
窓を見ても、何もいない。
だが、フロントガラスには妙なものが付いていた。
泥ではない。
黒く湿った何か。
それが、ゆっくりとガラスを伝って流れていく。
友人がライトをつけた。
その瞬間――
二人とも息を呑んだ。
フロントガラスの向こう。
道路の先に、巨大な頭があった。
さっき見たものより、はるかに近い。
山の木々よりも大きく見える。
そして、その口がゆっくりと開いた。
牙のようなものが並んでいる。
声は聞こえなかった。
それなのに、頭の中に直接、
「帰れ」
という言葉が響いた。
友人がアクセルを踏み込んだ。
車は猛スピードで山道を下っていく。
バックミラーを見ることはできなかった。
だが、カーブを曲がった瞬間――
後部座席から、
ドン……
と音がした。
二人とも凍りついた。
誰も後部座席には乗っていない。
それなのに、
ドン……ドン……
と、何かが座席を叩いている。
そして三度目。
ドンッ――!
今度は、耳元で低い声がした。
「……頭を、見たな」
友人は悲鳴を上げ、さらにアクセルを踏み込んだ。
やがて山を抜け、街の明かりが見えた。
そこでようやく、後ろを振り返った。
何もいない。
二人は無言のまま、その夜を終えた。
翌朝。
車を確認すると、後部座席の窓に奇妙な跡が残っていた。
内側から押しつけられたような、
巨大な手形。
そして、その横には一本の線が引かれていた。
まるで爪で、
「龍」
と書いたような傷だった。
それ以来、友人は二度とあの場所へ行こうとはしなかった。
ただ、一つだけ。
今でも理解できないことがある。
あの夜、二人が見た「龍の頭」。
それは山の中にあったはずだった。
ところが後日、撮影していた映像を確認すると――
龍の頭が映っていたのは、
山ではなかった。
車の後部座席。
しかも、二人が逃げている間ずっと、
そこからこちらを覗き込んでいた。
そして最後の映像には、
画面いっぱいに広がった黒い顔と、
ゆっくり開く二つの目が映っていた。
映像が終わる直前。
低い声で、こう聞こえたという。
「また来い」
それ以来、友人の車では、
誰も乗っていない後部座席から、
夜になると時々、
「ドン……ドン……」
と、何かを叩く音がするという。
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