佐古山――振り返ってはいけない坂

徳島市にある佐古山。

昼間なら、ただ静かな山道にしか見えない。

しかし、夜になると空気が変わる。

街の明かりが遠ざかり、木々の間を抜ける風の音だけが聞こえる場所もある。

これは、そんな佐古山で起きたという話だ。

ある日の深夜、二人の男性が車で佐古山を走っていた。

時刻は午前一時を少し回った頃。

「もう帰ろうか」

運転していた男性がそう言った直後だった。

助手席の男性が、窓の外を見ながら呟いた。

「……今、誰かいたよな?」

「どこ?」

「ほら、あそこ」

指差した先には、木々が密集しているだけだった。

人影など見えない。

「見間違いだろ」

そう言って車を走らせた。

ところが、それから数十秒ほどして。

車の後部座席から、

コン……

と小さな音がした。

二人とも黙った。

もう一度、

コン……コン……

今度ははっきり聞こえた。

まるで誰かが、車の内側から窓を叩いているような音だった。

「……後ろ、見てみろよ」

助手席の男性が言った。

しかし、運転していた男性は首を振った。

「嫌だ」

理由は分からなかった。

ただ、後部座席を振り返ってはいけない。

そんな気がしたという。

車はそのまま山道を進んだ。

すると突然、カーナビの画面が消えた。

電源を入れ直しても戻らない。

その代わり、画面には見たことのない文字が一瞬だけ表示された。

――「まだ帰らないで」

「……何だこれ」

二人が凍りついた。

だが次の瞬間、画面は通常の表示に戻った。

怖くなった二人は、急いで山を下りようとした。

その時だった。

助手席の男性が、バックミラーを見て青ざめた。

「……なあ」

「何だよ」

「後ろの車……いつからいた?」

運転手がミラーを見る。

後ろには、車が一台。

ヘッドライトを消したまま、ぴったりとついてきている。

だが、おかしかった。

その車には――

運転席に誰もいなかった。

「……止まるな」

二人は無言のままアクセルを踏み込んだ。

後ろの車も、同じ速度でついてくる。

カーブを曲がっても離れない。

坂を下っても離れない。

そして、山を抜ける直前。

後ろの車が突然消えた。

二人は何度もミラーを確認した。

そこにはもう、何もいない。

「……助かった」

そう思った。

しかし。

家に帰ってから、助手席の男性がスマートフォンに残っていた写真を見て、言葉を失った。

山道を走っている途中、何気なく撮った一枚だった。

車内を撮っただけの写真。

運転席。

助手席。

そして後部座席。

そこには誰もいないはずだった。

ところが、写真を拡大すると――

後部座席の中央に、

濡れた髪のような黒いものを垂らした人影が座っていた。

顔は見えない。

ただ、こちらを向いていることだけは分かった。

そして写真の隅には、もう一つ奇妙なものが写っていた。

後部座席の窓。

そこには、内側から指で書いたような跡が残っていた。

文字だった。

震えるような筆跡で、

「振り返ったね」

と書かれていた。

二人は、その写真を見て初めて気づいた。

あの時、後部座席から聞こえていた音。

あれは、窓を叩いていた音ではなかった。

誰かが――

車の中から、こちらを呼んでいた音だった。

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