兎越山ユースホステル跡――最後の宿泊客
福井市の兎越山には、かつてユースホステルがあった。
山の中腹に建つ古い建物で、夜になると街の明かりが遠くに見えたという。
しかし、いつしか施設は閉鎖され、建物も姿を消した。
そして現在、その場所には墓地が広がっている。
これは、まだ建物が残っていた頃の話だ。
ある夏の夜、廃墟になったユースホステルを見に行った若者がいた。
時計は午後11時を回っていた。
懐中電灯を片手に、草の生い茂った道を進んでいく。
すると、建物の中から、
「……コン、コン」
と、何かを叩く音が聞こえた。
風の音だろう。
そう思って建物の中へ入った。
廊下には古い掲示板が残っていた。
壁には、かつて宿泊客が書いたと思われる落書き。
そして、その奥にはいくつもの部屋が並んでいた。
そのときだった。
「……誰かいる?」
廊下の奥から、低い男の声がした。
若者は立ち止まった。
当然、誰もいるはずがない。
しかし、声はもう一度聞こえた。
「……まだ、泊まりますか?」
背筋が凍った。
慌てて振り返る。
誰もいない。
若者は急いで建物から出ようとした。
ところが、玄関へ向かう途中、壁に掛かっていた古い宿泊者名簿が目に入った。
何気なくページをめくる。
すると、一番最後のページに、一行だけ文字が残っていた。
――「今夜の宿泊者、一名」
日付は、何十年も前のものだった。
その瞬間。
背後から、
「……一名じゃない」
と声がした。
若者が振り返る。
廊下の暗闇に、男が立っていた。
顔は見えない。
ただ、こちらをじっと見ている。
そして男は、ゆっくりと口を開いた。
「……もう一人、いるでしょう?」
若者は夢中で走った。
階段を駆け下り、外へ飛び出す。
振り返ることはできなかった。
その夜から数日後。
若者は、撮影した写真を確認していて気づいた。
建物の廊下を撮った一枚。
そこには誰も写っていないはずだった。
しかし、写真の一番奥。
暗い廊下の隅に、黒い人影が立っていた。
そして、その人影の隣には――
もう一つ。
小さな影が写っていた。
まるで、
「次の宿泊客」を待つように。
現在、かつての施設があった場所には墓地が広がっている。
だから、地元ではこんな噂が囁かれる。
夜、兎越山を歩いていると、
「コン、コン」
と、古い宿のドアを叩くような音が聞こえることがある。
その音に答えてはいけない。
もし、
「泊まりますか?」
と聞かれても――
絶対に、
「はい」
と答えてはいけない。
なぜなら、その場所には今も、
最後の宿泊客を待っている誰かがいるからだ。
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