ことでんのガード下――線路の下で待つもの
夜のことでん沿いを歩いていた、ある男性の話です。
その日は仕事が遅くなり、男性がガード下を通ったのは、日付が変わる少し前でした。
昼間なら何でもない場所です。
車の音も、人の声もある。
しかし深夜になると、線路の上を走る電車の音だけが響き、ガード下には妙な静けさが残ります。
男性がガード下へ入った、その時でした。
「……カン、カン……」
どこからか、小さな金属音が聞こえました。
最初は、線路の音が響いているだけだと思いました。
ところが、音は少しずつ近づいてきます。
カン……。
カン……。
まるで誰かが、線路の下をゆっくり歩いているようでした。
男性は振り返りました。
誰もいません。
それでも、音だけは止まりません。
「カン……カン……」
そして突然、背後から女性の声がしました。
「……すみません」
男性は驚いて振り返りました。
そこには、線路脇に立つ一人の女性がいました。
俯いていて、顔はよく見えません。
男性が「どうしました?」と声をかけると、女性はゆっくり顔を上げました。
そして、小さな声で言ったのです。
「電車……もう行きましたか?」
男性は意味が分かりませんでした。
「終電なら、もう終わってると思いますけど……」
そう答えた瞬間。
女性の顔から、すっと表情が消えました。
そして、
「……じゃあ、帰れない」
と呟いたのです。
次の瞬間、男性の耳元で大きな電車の走行音が響きました。
ゴォォォォォ――ッ。
思わず目を閉じた男性。
しかし、数秒後に目を開けると、そこには誰もいませんでした。
ただ、ガード下の壁際に、
濡れた足跡が残っていました。
女性が立っていた場所から、男性のすぐ後ろまで。
裸足の足跡でした。
男性は怖くなり、その場を離れようとしました。
ところが、出口へ向かって歩き始めると、今度は前方から男性の声が聞こえてきました。
「……待って」
男性が顔を上げると、ガード下の暗闇に、今度は別の人影が立っていました。
男性です。
こちらをじっと見ています。
「そこで待ってて」
低い声でした。
男性は意味が分からず、無視して出口へ向かいました。
すると、その人影が突然、
「待て!」
と叫びました。
その瞬間。
頭上を電車が通過しました。
轟音でガード下全体が震えます。
男性は反射的にしゃがみ込みました。
そして電車が通り過ぎた直後。
耳元で、先ほどの女性の声がしました。
「……今、出ちゃだめだったのに」
男性は振り返りませんでした。
そのまま走ってガード下を抜けました。
そして明るい道路まで出たところで、ようやく後ろを振り返りました。
誰もいません。
ただ、ガード下の暗闇から、
「カン……カン……」
という金属音だけが聞こえていました。
それから数日後。
男性は偶然、同じ場所を昼間に通ることになりました。
気になってガード下の壁を見ると、そこには古い落書きが残っていました。
その中に、妙な文字がありました。
「電車が通るまで、ここから出るな」
男性は背筋が凍りました。
なぜなら、その文字の下には、
濡れた手形がいくつも残っていたからです。
しかも、その手形はすべて――
ガード下の外ではなく、
中へ向かって伸びていました。
それ以来、男性は夜のことでん沿いを歩かなくなったそうです。
そして近所では、今でも深夜のガード下を通ると、
「カン……カン……」
という金属音と一緒に、
誰かが小さな声で、
「……電車、まだ来ない?」
と話しかけてくることがあると言われています。
コメント
コメントを投稿