牟礼病院――誰もいない病室
午前二時過ぎ。
友人と二人で、山あいにある古い病院跡を訪れた。
そこは、かつて「牟礼病院」と呼ばれていた場所だった。
昼間に見ると、ただ古びた建物にしか見えない。
しかし夜になると、割れた窓や黒ずんだ壁が妙に不気味に浮かび上がる。
「本当に入るの?」
友人が小さな声で聞いた。
私は笑って答えた。
「ちょっと見るだけだよ」
懐中電灯を点け、建物の中へ入った。
廊下には、古い診察室が並んでいた。
床にはガラス片が散らばり、壁には剥がれかけた案内板が残っている。
奥へ進んでいくと、二階へ続く階段があった。
そのときだった。
――カタン。
上から、何かが落ちたような音がした。
二人で顔を見合わせる。
「誰かいる?」
返事はない。
それでも気になり、階段を上がった。
二階には病室がいくつも並んでいた。
一番奥の病室だけ、なぜかドアが少し開いている。
近づいた瞬間、
「……まだ、いる?」
女の声がした。
私は立ち止まった。
声は、病室の中から聞こえた。
友人が私の腕をつかむ。
「今、聞こえたよな?」
私は黙って頷いた。
恐る恐る懐中電灯を中へ向ける。
誰もいない。
ベッドもない。
ただ、古びた壁と床があるだけだった。
「空耳だろ」
そう言って戻ろうとした。
その瞬間――
病室の奥から、
コツ……コツ……
と音がした。
まるで誰かが、裸足で床を歩いているような音だった。
音は少しずつ近づいてくる。
コツ……
コツ……
コツ……
しかし、懐中電灯で照らしても何も見えない。
そして音が、私たちの目の前で止まった。
「……誰もいないよな?」
友人が震える声で言った。
その直後。
耳元で、
「いるよ」
と囁かれた。
二人とも一瞬で廊下へ飛び出した。
階段を駆け下り、建物の外へ逃げる。
車に乗り込んでからも、しばらく二人とも何も話せなかった。
ようやく落ち着いた頃、友人がスマートフォンを取り出した。
「……これ、見てみろ」
そこには、さっき撮った病室の写真が映っていた。
私たちが誰もいないと思っていた病室。
その写真の奥。
壁際に、ぼんやりと人影が写っていた。
白い服を着た人間のように見える。
そして、その顔だけが――
こちらを向いていた。
さらに恐ろしかったのは、その写真を撮った時間だった。
画面には、
午前2時17分
と表示されている。
私たちが病室から逃げ出したのは、午前2時20分。
では、写真に写っているその人物は――
私たちが病室に入る前から、そこにいたのだろうか。
コメント
コメントを投稿