眉山――振り返ってはいけない山道
徳島市の中心部から見える眉山。
昼間は観光客も多く、山頂からは徳島の街並みを一望できる場所として知られている。
しかし、夜になると雰囲気は一変する。
これは、ある男性が数年前、眉山の山道で体験したという話だ。
その男性は、友人と二人で車に乗り、夜の眉山へ向かった。
時刻は午前0時を少し過ぎていた。
「せっかくだし、山頂まで行ってみようぜ」
軽い気持ちだった。
街の明かりが少しずつ遠ざかり、車は暗い山道へ入っていった。
しばらくすると、車内の会話が自然と減っていった。
カーブを曲がるたびに、ヘッドライトに照らされるのは木々ばかり。
そして、ある場所を通り過ぎた瞬間だった。
助手席にいた友人が、突然つぶやいた。
「……今、誰かいた?」
男性は笑った。
「どこに?」
「道路の端。白い服の人」
そう言われてバックミラーを見る。
だが、後ろには誰もいない。
「見間違いだろ」
そう言って車を走らせた。
ところが、それから数分後。
カーナビの画面が突然消えた。
電源を入れ直しても反応しない。
スマートフォンも圏外になっていた。
そして車内の温度が、急に下がった。
エアコンを切っているのに、二人の吐く息が白く見えるほどだった。
そのとき――
後部座席から、
「コン……」
と、小さな音がした。
二人とも黙った。
「……何の音?」
「知らない」
また、
コン……
今度は、はっきり聞こえた。
まるで誰かが、車の内側から窓を叩いているような音だった。
男性は恐る恐るバックミラーを見た。
後部座席には誰もいない。
だが、窓ガラスに異変があった。
外側からではない。
車内側のガラスに、指でなぞったような跡が残っていた。
そこには、一本の線がゆっくり伸びていた。
まるで誰かが、
「こっちを見ろ」
と書こうとしているように。
友人が震えた声で言った。
「もう帰ろう」
男性はすぐに車をUターンさせた。
しかし、来た道を戻っているはずなのに、なぜか同じカーブに何度も差しかかった。
そして三度目。
道路脇に、白い服の人影が立っていた。
今度は二人とも見た。
その人物は背中を向けて立っている。
顔は見えない。
男性は速度を落とさず、その横を通り過ぎた。
その瞬間――
後部座席から、
「……やっと来た」
という声が聞こえた。
二人は凍りついた。
その声は、明らかに車の中から聞こえた。
男性は絶対に振り返らなかった。
友人も前だけを見ていた。
すると今度は、後ろから何度も窓を叩く音がした。
コン。
コン。
コン。
その音はどんどん強くなり、
ドンッ!
最後には車体そのものが揺れるほどになった。
それでも男性は振り返らず、必死に車を走らせた。
ようやく街の明かりが見え始めたころ、音は突然止まった。
二人は何も言わなかった。
麓まで下りて、明るい場所に車を停めた。
そして初めて、男性は後部座席を確認した。
誰もいない。
だが、シートの中央だけが妙に濡れていた。
さらに、その上には泥のついた手形が一つ残っていた。
翌日、男性は車を洗った。
手形も跡も、すべて消えた。
ただ、一つだけ奇妙なことがあった。
スマートフォンの写真フォルダに、見覚えのない写真が一枚入っていた。
撮影時刻は、眉山を走っていた午前0時過ぎ。
写真には、車内の後部座席が写っていた。
そしてそこには――
二人の間に座るように、
白い服の人影が写っていた。
顔は写っていなかった。
ただ、その人物の手だけが、
男性の肩に置かれていた。
それ以来、男性は夜の眉山には二度と近づいていないという。
そして今でも、あの写真だけは削除できずに残っている。
なぜなら――
写真を削除しようとすると、
必ず画面に同じ文字が浮かぶからだ。
「まだ帰ってないよ」
コメント
コメントを投稿