愛宕山――山頂から聞こえた呼び声

その山には、夜になると人が近づかなくなる場所があった。

昼間なら、散歩や登山で訪れる人もいる。
しかし、日が落ちると、山道は急に別の場所のような雰囲気になるという。

ある夏の夜、私は友人と二人で愛宕山へ向かった。

目的は肝試しだった。

「本当に何か出るのかな」

友人が笑いながら言った。

私はスマートフォンのライトを頼りに、暗い山道を歩いた。

しばらくすると、周囲から街の明かりが見えなくなった。

聞こえるのは、木の葉が風に揺れる音だけ。

ところが、山頂へ近づいたところで、突然、友人が立ち止まった。

「……今、誰か呼んだ?」

「え?」

私は聞き返した。

すると友人は、山の奥を指差した。

「今、名前呼ばれた気がした」

私は冗談だと思った。

「気のせいだろ」

そう言って歩き出した。

その直後だった。

「……おーい」

確かに聞こえた。

男の声だった。

私たちは顔を見合わせた。

声は、山頂のさらに奥から聞こえているようだった。

「誰かいるのかな」

友人がそう言った瞬間、

「……おーい」

また聞こえた。

今度は、さっきより近い。

私は少し嫌な感じがした。

「もう帰ろう」

そう言うと、友人も珍しく黙って頷いた。

来た道を戻り始めた。

しかし、数分歩いたところで、友人が急に私の腕を掴んだ。

「待って」

「何?」

「……今、後ろにいた」

私は振り返った。

誰もいない。

ただ、暗い木々が並んでいるだけだった。

「何が?」

友人は答えなかった。

代わりに、じっと山道の奥を見ていた。

「人がいたんだよ」

「どこに?」

「木の間」

友人は震える声で続けた。

「こっちを見てた」

私はもう一度、暗闇を見た。

すると――

木々の隙間に、何か白いものが見えた。

人の顔に見えた。

だが、次の瞬間には消えていた。

「……帰ろう」

今度は二人とも走った。

山道を下り、車まで戻る。

車に乗り込んだ瞬間、友人が言った。

「早く出して」

私はエンジンをかけた。

その時だった。

車の後部座席から、

「……おーい」

と声がした。

私たちは同時に振り返った。

誰もいない。

それなのに、車内には明らかに誰かがいるような気配があった。

友人は震えながら、

「見るな」

と呟いた。

私はアクセルを踏んだ。

山を下り、街中まで戻ってきたところで、ようやく二人とも口を開いた。

「さっきの声……」

友人が言った。

「俺たちを呼んでたんじゃない」

「じゃあ、何だったんだ?」

友人はしばらく黙ってから答えた。

「……俺たちの後ろにいる誰かを呼んでたんだと思う」

その意味が分からず、私は笑おうとした。

しかし、その瞬間。

車の後部座席から、また声がした。

「……おーい」

今度は、はっきり聞こえた。

私たちは振り返らなかった。

ただ、信号が青になるのを待って、無言で車を走らせ続けた。

その夜以降、友人は二度と愛宕山へ行こうとは言わなくなった。

そして後になって、友人から一つだけ気になる話を聞いた。

あの夜、車に乗り込む直前。

友人はバックミラー越しに、山道を見ていたらしい。

そこには、私たち以外にもう一人。

山道の真ん中に立ち、こちらを見ている人影があったという。

その人物は、私たちが車を走らせても動かなかった。

ただ、口だけを動かしていた。

何を言っているのかは聞こえなかった。

だが、口の動きは――

「おーい」

だったという。

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