油山観音――山門の向こうから呼ぶ声
夜の油山は、街の明かりが嘘のように遠かった。
大学生の健太は、友人二人と車で油山を訪れていた。
目的は、夜景を見ること。
「油山観音の辺り、夜はかなり雰囲気あるらしいぞ」
友人の一人がそう言った。
油山観音こと正覚寺は、油山の中腹にある古い寺だ。
その歴史は非常に古く、戦国時代には兵火によって山全体が焼けたとも伝えられている。
そんな話を聞きながら、三人は暗い道を歩いていった。
やがて、木々の向こうに山門が見えた。
――そのときだった。
「……誰かいる」
友人が立ち止まった。
山門の奥。
本堂へ続く暗い道の先に、白い服を着た女が立っていた。
こちらに背を向けている。
「寺の人じゃない?」
健太が声をかけた。
「すみませーん」
女は動かなかった。
もう一度呼ぶ。
「すみません!」
すると――
女の首だけが、ゆっくりとこちらへ向いた。
体は正面を向いたまま。
首だけが、あり得ない角度でこちらを見ていた。
三人は声も出せなかった。
次の瞬間。
女の姿が消えた。
「……帰ろう」
誰も反論しなかった。
三人は急いで車へ戻った。
ところが、車に乗り込んだ健太は妙なことに気づいた。
後部座席に、誰かが座っている。
暗くて顔は見えない。
「……おい」
友人が振り返った。
誰もいない。
「今、誰かいたよな?」
「いた……」
三人とも青ざめた。
そのまま車を走らせる。
しばらくすると、後ろから、
コン……
コン……
と音が聞こえ始めた。
まるで、後部座席の窓を誰かが内側から叩いているようだった。
健太はバックミラーを見た。
――何もいない。
しかし、音だけは続いている。
コン……
コン……
コン……
そして突然。
女の声が車内に響いた。
「……まだ、帰らないで」
三人は凍りついた。
声は、確かに後部座席から聞こえた。
健太はアクセルを踏み込んだ。
その瞬間、カーナビの画面が突然消えた。
真っ暗な画面に、文字が浮かんだ。
「山門に戻って」
健太は急ブレーキを踏んだ。
「何だよ……これ……」
すると車のエンジンが勝手に切れた。
車内が静まり返る。
そして――
外から足音が聞こえてきた。
ザッ……
ザッ……
ザッ……
ゆっくりと車に近づいてくる。
三人は息を殺した。
足音が車の横で止まった。
助手席の窓に、白い手が現れた。
そして、指で窓を三回叩いた。
コン。
コン。
コン。
友人が震える声で言った。
「……絶対に見るな」
だが健太は、見てしまった。
窓の外に立っていたのは、さっきの女だった。
女は笑っていた。
そして、口だけを動かした。
「……山門」
その瞬間、車のエンジンがかかった。
しかし車は前へ進まなかった。
ハンドルが勝手に動き始めた。
車が向きを変える。
来た道を戻っていく。
油山観音の山門へ。
健太は必死にブレーキを踏んだ。
それでも車は止まらない。
やがて――
山門が見えた。
そして、その前に女が立っていた。
車が近づく。
女はゆっくりと横へ避ける。
三人の目の前を通り過ぎる瞬間、
女が車の中を覗き込んだ。
そして一言。
「……ひとり、置いていって」
翌朝。
三人は麓の道路で発見された。
車は山門から数百メートル離れた場所に停まっていた。
しかし――
三人のうち一人だけが、車内から消えていた。
警察が周辺を捜索したが、見つからなかった。
そして数日後。
健太のもとに、一枚の写真が送られてきた。
撮影者は不明だった。
写真には、夜の油山観音の山門が写っている。
その山門の奥に――
三人の男が立っていた。
健太。
もう一人の友人。
そして、行方不明になった友人。
三人とも、こちらを見ている。
だが、写真の中の三人の後ろには、
もう一人――
白い服の女が立っていた。
その女は、三人の肩に手を置いていた。
写真の裏には、短い文字が書かれていた。
「次は、あなたが山門をくぐる番です」
それ以来、健太は夜になると、ときどき聞くという。
遠くから聞こえる、
コン……
コン……
コン……
という、窓を叩く音を。
そして、その音に混じって――
「……山門」
と呼ぶ女の声を。
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