武田神社――夜の参道に立つ男

山梨県甲府市にある武田神社。

ここは戦国武将・武田信玄を祀る神社として知られ、昼間は多くの参拝客が訪れる場所だ。

しかし、日が落ちて人の気配がなくなると、境内は昼間とはまったく違う空気に包まれるという。

これは、ある男性が体験した話だ。

数年前の秋、その男性は仕事で甲府を訪れていた。

帰りが遅くなり、ホテルへ戻る前に武田神社へ立ち寄ることにした。

時刻は夜の八時を過ぎていた。

境内にはほとんど人がいない。

男性が参道を歩いていると、前方に一人の男が立っているのが見えた。

黒っぽい服を着て、背中を向けたまま動かない。

「こんな時間に参拝している人もいるんだな」

そう思いながら、男性はその横を通り過ぎた。

ところが――

数歩進んだところで、背後から声が聞こえた。

「……戻れ」

小さな声だった。

男性は振り返った。

しかし、そこには誰もいない。

さっきまで立っていた男の姿も消えていた。

不思議に思いながらも、男性はそのまま歩き続けた。

すると今度は、前方にさっきの男がいる。

同じ服。

同じ場所。

そして、やはり背中を向けて立っている。

男性は怖くなり、今度は近づかずに脇道へそれた。

その瞬間だった。

「……戻れ」

また、背後から声がした。

男性は走って境内を出た。

そして駐車場まで戻り、車に乗り込んだ。

エンジンをかけようとしたところ、バックミラーに何かが映った。

後部座席に――

誰かが座っている。

男性は反射的に振り返った。

もちろん、誰もいない。

だが、後部座席には泥のようなものが付いた足跡が残っていた。

しかも、その足跡は一つだけではなかった。

後部座席から運転席のすぐ後ろまで、濡れた足跡が続いていたという。

男性はその夜、武田神社には二度と近づかなかった。

後になって地元の知人にこの話をすると、

「夜の神社では、あまり奥まで入らないほうがいい」

そう言われた。

そして最後に、こんな言葉を付け加えたという。

「武田神社は、昼間に行く場所だよ」

それ以来、男性は夜の神社を見ると、あの参道に立っていた男を思い出すという。

あの男が何者だったのか。

そして、なぜ「戻れ」と告げたのか。

今となっては、誰にも分からない。

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