盛岡八幡宮周辺――鳥居の外に立つ女
それは、秋の夜のことだった。
盛岡八幡宮の例大祭が終わった数日後、私は夜の八幡町を歩いていた。
昼間は参拝客や観光客で賑わう場所も、夜になると様子が一変する。
街灯の明かりが届かない場所には濃い影が落ち、風が止まると、あたりは妙に静かだった。
私は大鳥居の近くまで来た。
ふと、参道の先を見る。
誰かが立っていた。
白い服を着た女だった。
長い髪で顔が隠れている。
「こんな時間に参拝かな……」
そう思った瞬間、女がゆっくり顔を上げた。
顔は見えなかった。
髪の隙間から見えたのは――
真っ黒な目だった。
私は思わず足を止めた。
すると女が、こちらに向かって歩き始めた。
一歩。
また一歩。
しかし、不思議なことに足音がしない。
私は怖くなって後ろを振り返った。
誰もいない。
もう一度、参道を見る。
女もいない。
「……帰ろう」
そう呟いて歩き出した。
そのときだった。
背後から、
カラン……。
鈴のような音が聞こえた。
振り返る。
誰もいない。
だが、境内の暗がりから、
「……待って」
女の声がした。
私は走った。
大鳥居を抜け、八幡町の道路まで出た。
そこでようやく振り返る。
鳥居の下に、女が立っていた。
今度は顔が見えた。
白い顔。
そして、口だけが異様に大きく笑っていた。
女は手を上げると、こちらを指差した。
その瞬間、スマートフォンが震えた。
知らない番号から電話がかかってきていた。
恐る恐る出る。
『……どうして帰るの?』
電話の向こうから、さっきの女の声が聞こえた。
私は電話を切った。
すると、すぐにまた着信。
今度は留守番電話に切り替わった。
翌朝、確認してみると、録音には何も入っていなかった。
ただ最後の数秒だけ、
「カラン……」
という鈴の音が残っていた。
そして、その日の夜。
自宅の玄関を開けた私は、そこで凍りついた。
玄関の床に、濡れた足跡があった。
二つ。
三つ。
四つ。
それは玄関から部屋の奥へ向かって続いていた。
そして最後の足跡の前に、一枚の紙が落ちていた。
そこには、震えたような文字で、
「鳥居の外まで来てくれて、ありがとう」
と書かれていた。
それ以来、私は夜の盛岡八幡宮周辺を歩かなくなった。
ただ、一つだけ今でも気になっている。
あの夜。
私は確かに、女を鳥居の「内側」で見た。
なのに、最後に女が立っていたのは――
鳥居の外側だった。
コメント
コメントを投稿