水の森公園――水の森の笛

午前二時を過ぎていた。

男は一人、水の森公園の遊歩道を歩いていた。

昼間なら、木々と水辺に囲まれた静かな公園だ。

だが、夜になると雰囲気がまるで違う。

街灯の届かない場所では、木々が黒い壁のように見える。

男は、友人から聞いた噂を思い出していた。

――水の森では、夜に女の声が聞こえる。

――水辺から、人の話し声がする。

そして、もう一つ。

夜明け前になると、どこからともなく笛の音が聞こえる。

「……さすがに嘘だろ」

男は笑いながら歩き続けた。

しばらくすると、水辺の近くにベンチが見えてきた。

その瞬間だった。

「……ピィ……」

遠くから、笛の音が聞こえた。

男は足を止めた。

「え?」

もう一度。

「……ピィ……ピィ……」

昔の時代劇で聞くような、妙に古い旋律だった。

周囲を見回す。

誰もいない。

男はスマートフォンを取り出し、録音を始めた。

「誰かいるんですか?」

返事はない。

しかし――

笛の音だけが、少しずつ近づいてきた。

「ピィ……」

「ピィ……」

「ピィ……」

男は急に怖くなり、来た道を戻ろうとした。

そのとき。

遊歩道の先に、白い服を着た女が立っていた。

長い髪で顔が見えない。

男は固まった。

女は、こちらを見ているようだった。

「……こんな時間に、何してるんですか?」

震える声で聞く。

女は答えない。

ただ、ゆっくりと手を上げた。

そして――

男の背後を指差した。

「……え?」

振り返る。

何もない。

もう一度、女を見る。

――いない。

「……帰ろう」

男は走った。

駐車場まで一気に走り、車に乗り込む。

エンジンをかける。

その瞬間。

後部座席から、

「ピィ――」

と笛の音がした。

男はゆっくりバックミラーを見る。

誰もいない。

だが、鏡の端に――

白い女の顔が映っていた。

男は悲鳴を上げて車を飛び出した。

翌朝。

男のスマートフォンには、昨夜録音した音声が残っていた。

再生してみる。

最初は、風の音。

木々の揺れる音。

そして笛。

しかし、最後の数秒。

笛の音が止んだあと、女の声が入っていた。

「どうして、私たちを燃やしたの?」

男は、その言葉の意味を知らなかった。

後になって調べてみると、水の森には明治時代、コレラ流行時に遺体を焼いたとされる場所があり、供養塔や叢塚が残されているという話を知った。

そして録音をもう一度聞いた。

すると――

前には気づかなかった音が入っていた。

女の声のすぐ後ろで、

何十人もの人間が、低い声で歌っていた。

その中に、一人だけ。

小さな子供の声が混じっていた。

「……おかあさん、まだ帰らないの?」

そして最後に、

「ピィ――」

笛が一度だけ鳴った。

それ以来、男は夜の水辺に近づかなくなった。

だが今でも、午前二時を過ぎると――

自宅の窓の外から、

あの笛の音が聞こえることがあるという。

「ピィ……」

まるで、

水の森から誰かを呼び戻すように。

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