西蔵王山荘――三階の女
山形市の山中に、かつて一軒の宿泊施設があった。
その名は――西蔵王山荘。
かつてはスキー客や観光客で賑わった宿だったが、閉館してから長い年月が流れ、今では草木に覆われた建物だけが残されている。
これは、ある男がまだ建物に人の気配が残っていた頃に体験したという、奇妙な話である。
男が西蔵王山荘を訪れたのは、夜の十一時を過ぎた頃だった。
もちろん、営業しているわけではない。
ただ、遠くから建物を見てみたかった。
車を降りると、山の中は異様なほど静かだった。
風がない。
虫の声もしない。
そして、暗闇の中に三階建ての建物がぼんやり浮かんでいた。
「……本当に誰もいないのか?」
男がそう呟いた瞬間。
三階の窓に、白いものが見えた。
人だった。
女が一人、窓際に立っている。
男は驚いて車へ戻ろうとした。
しかし、その女は動かない。
ただ、こちらを見ている。
そして突然――
女が手を上げた。
まるで、
「おいで」
と呼んでいるようだった。
男は怖くなり、車に乗り込んだ。
そのまま帰ろうとエンジンをかけた。
ところが――
カーナビの画面が突然消えた。
そして、真っ暗になった画面に文字が浮かび上がった。
「305」
男には、その数字に心当たりがなかった。
その夜は、そのまま帰宅した。
しかし翌朝。
男は昨夜撮影した写真を確認していて、あることに気づいた。
三階の窓を撮った写真。
そこには、確かに女が写っていた。
しかも――
昨夜見たときより、はっきりしている。
白い服。
長い髪。
そして、窓ガラスに押しつけるようにしてこちらを見ている顔。
男は写真を削除した。
ところが数秒後。
スマートフォンの画面に、知らない写真が一枚だけ残っていた。
それは、建物の中を撮影したような写真だった。
廊下。
その奥に、部屋の扉。
扉には、
「305」
と書かれている。
男は青ざめた。
「俺、こんな写真撮ってないぞ……」
その瞬間。
スマートフォンから、
コン……
という音がした。
通知だった。
メッセージが一件届いている。
送り主は――
自分自身。
本文には、たった一言だけ書かれていた。
「まだ中にいるよ」
それから三日後。
男は再び西蔵王山荘の夢を見るようになった。
毎晩、同じ夢だった。
暗い廊下を歩いている。
誰もいない。
しかし後ろから、
ペタ……
ペタ……
と裸足で歩く音がする。
振り返ってはいけない。
そう思っているのに、夢の中の自分は必ず振り返ってしまう。
すると、廊下の奥に女が立っている。
女はゆっくり近づいてくる。
そして毎回、同じ言葉を言う。
「……お母さん、どこ?」
四日目の夜。
男は夢の中で、初めてその女の顔を正面から見た。
女の顔は――
自分の顔だった。
そこで男は目を覚ました。
部屋は真っ暗だった。
時計を見ると、午前3時05分。
その瞬間。
玄関のほうから、
コン……
と音がした。
続いて、
コン……
コン……
と、誰かがドアを叩いている。
男は布団の中で息を殺した。
すると、ドアの向こうから女の声がした。
小さな声だった。
しかし、はっきり聞こえた。
「……305号室、空いてますか?」
男は凍りついた。
なぜなら、その声は――
あの夜、西蔵王山荘の三階で見た女と同じ声だったからだ。
そして最後に、ドアの向こうからこう聞こえた。
「……今度は、あなたが泊まる番ですよ」
その瞬間。
男の部屋の照明が、
パッ――
と消えた。
真っ暗な部屋の中。
ベッドの足元から、
ペタ……
ペタ……
と、裸足の足音が聞こえた。
そして――
耳元で女が囁いた。
「……305号室へ、ようこそ」
翌朝。
男の部屋には誰もいなかった。
ただ、床には濡れた裸足の跡が残っていた。
玄関から始まり――
ベッドの横を通り――
窓の前で止まっていた。
そして窓ガラスには、指で書いたような文字が残されていた。
「次は誰?」
――現在も、西蔵王山荘には女性の霊や声が聞こえるという噂が残っている。
もちろん、それが本当に霊によるものなのかは分からない。
ただ一つだけ確かなのは、
長い間、人のいなくなった建物ほど、
「誰もいない」
とは限らないということだ。
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