新田さん家――夜になると二階から聞こえる声
静岡の山あいに、地元で「新田さん家」と呼ばれている古い家がある。
昼間に見ると、少し古びた普通の民家にしか見えない。
しかし、その家には昔から、妙な噂があった。
夜になると、誰もいないはずの二階から、人の話し声が聞こえるというのだ。
ある夏の夜、友人と二人でその家の近くを通った。
時刻は午前一時を過ぎていた。
周囲には街灯も少なく、山から吹いてくる風が木々を揺らしている。
そのときだった。
「……誰かいる」
友人が立ち止まった。
耳を澄ますと、確かに家の二階から声が聞こえる。
低い声だった。
何を話しているのかは分からない。
ただ、二人ではなく、何人もの人間が小さな声で話しているように聞こえた。
「空き家じゃないのか?」
そう言った瞬間――
二階の窓に、人影が現れた。
カーテンの向こうに、白い顔のようなものが浮かんでいる。
こちらを見ている。
そう思った次の瞬間、その顔がゆっくり横へ動いた。
そして、窓から消えた。
怖くなった俺たちは、その場から離れようとした。
すると、背後から、
「……まだ帰らないの?」
女の声が聞こえた。
振り返っても、誰もいない。
もう一度、家を見る。
二階の窓は真っ暗だった。
ところが、玄関のすぐ横にある小さな窓だけが、いつの間にか開いていた。
そして、その隙間から――
こちらを覗く目があった。
俺たちは何も言わず、その場を走って逃げた。
翌日、友人に「あれは何だったんだろう」と聞いた。
すると友人は、青ざめた顔でこう言った。
「昨日、俺たちが聞いた声……」
「何?」
「帰ろうとしたとき、ずっと俺の名前を呼んでた」
俺には聞こえていなかった。
それ以来、友人は夜にあの家の近くを通ることを極端に嫌がるようになった。
そして、数年後。
偶然その場所を訪れた俺は、家を見て言葉を失った。
新田さん家の二階には、あの夜と同じ窓があった。
ただ一つ違っていた。
窓ガラスには、内側から指で書いたような跡が残っていた。
そこには、短い言葉が書かれていた。
「まだいるよ」
もちろん、その家に誰かが住んでいるのか。
本当に声が聞こえたのか。
それを確かめることは、今でもできない。
ただ、あの場所では夜になると、誰もいないはずの二階から人の気配がする――。
そんな噂だけが、今もひっそりと残っている。
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