旧水戸市民会館――誰もいない客席
夜の水戸市を歩いていたとき、ふと旧水戸市民会館があった場所の近くを通った。
昼間なら人の行き交う場所だが、夜になると周囲は驚くほど静かだった。
旧市民会館は、かつて多くの市民が利用した場所だったという。大ホールでは数えきれないほどの公演が行われ、結婚式場としても使われていた。
しかし、東日本大震災によって建物は大きな被害を受け、その後、使用されなくなった。
その話を聞いた友人が、こんな噂を教えてくれた。
「夜になると、誰もいないはずの客席から拍手が聞こえるらしいよ」
もちろん、そんな話を信じるつもりはなかった。
ところがある夜、近くを歩いていると、
――パチ……パチ……。
どこからか、小さな音が聞こえた。
最初は風の音だと思った。
だが、耳を澄ますと、それは明らかに拍手だった。
一人ではない。
何人もの人間が、遠くで静かに拍手をしている。
――パチ、パチ、パチ……。
しかも、その音は一定の間隔で続いていた。
私は立ち止まり、周囲を見回した。
当然、そこには誰もいない。
それでも拍手だけは聞こえてくる。
不思議に思ってスマートフォンを取り出し、音のする方向へカメラを向けた。
すると、画面の奥に妙なものが映った。
暗闇の中に、ホールの客席のようなものが見えたのだ。
そして、その席には大勢の人影が座っていた。
誰も動いていない。
ただ全員が、こちらを見ている。
次の瞬間――。
一番前の席に座っていた人影が、ゆっくり立ち上がった。
すると、それを合図にするように、後ろの人影たちも次々と立ち上がっていく。
私は恐ろしくなり、スマートフォンを下ろした。
その瞬間、拍手が止まった。
静寂。
そして耳元で、はっきりと声がした。
「……まだ終わってませんよ」
振り返った。
誰もいない。
慌ててその場を離れ、家に帰った。
翌朝、スマートフォンを確認すると、昨夜撮影したはずの映像はすべて消えていた。
ただ一枚だけ、残っていた。
真っ暗な画面の中央に、古い客席が写っている。
そして、その客席の一番前に――
こちらを向いて座る人影が、一つだけ写っていた。
その人影の手元には、まるで今から拍手を始めるかのように、二つの手が重なっていたという。
それ以来、私は夜の旧市民会館周辺を歩かなくなった。
今でもあの場所を通るときだけは、できるだけ早く通り過ぎる。
なぜなら、静かな夜に耳を澄ますと――
今もどこからか、
――パチ……パチ……。
誰もいないはずの客席から、拍手が聞こえてくる気がするからだ。
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