清滝トンネル――振り返ってはいけない
深夜一時過ぎ。
京都の山道を、友人と二人で車を走らせていた。
目的地は、嵐山の奥にある清滝トンネル。
「本当に行くの?」
助手席の友人が、何度も同じことを聞いてくる。
「せっかくだし、一回くらい見てみようぜ」
そう答えながらも、運転していた自分も少しだけ緊張していた。
山道を進んでいくと、やがて木々の間から古びたトンネルが見えてきた。
入口は薄暗く、周囲には人の気配がまったくない。
車をトンネルへ入れる。
すると、さっきまで聞こえていた虫の声が突然消えた。
――ゴォォォ……。
タイヤの音だけが、異様に大きく響く。
「……なんか、長くない?」
友人が呟いた。
その瞬間だった。
バックミラーに、何かが映った。
トンネルの入口付近。
白い服を着た女が、こちらを見て立っている。
「……今、後ろ見た?」
「見てない」
友人の声が震えていた。
自分はもう一度ミラーを見た。
女は――いなかった。
「気のせいだろ」
そう言って車を走らせる。
ところが、トンネルを抜けた直後。
友人が突然、
「止めて」
と言った。
「どうした?」
「……後ろ」
嫌な予感がした。
「何がいる?」
「いいから……絶対に振り返らないで」
友人は青ざめていた。
そして、小さな声で続けた。
「さっきの女……」
「うん」
「トンネルの中じゃない」
「……え?」
「今、車の後ろにいる」
アクセルを踏み込んだ。
バックミラーを見る勇気はなかった。
しばらく走って、ようやく明るい場所まで出る。
そこで友人が、
「もう大丈夫だろ」
と言った。
二人で顔を見合わせる。
そして、恐る恐る車を降りた。
車体を一周してみる。
何もない。
「ほら、やっぱり見間違いだったんだよ」
そう笑った瞬間――
友人が車の後部座席を指差した。
窓ガラスの内側に、
白い手形が一つ付いていた。
外側ではない。
内側から押し付けたような手形だった。
二人とも言葉を失った。
その日の夜は、それ以上何も起きなかった。
しかし翌朝。
車を確認すると、後部座席の窓に残っていた手形は消えていた。
代わりに、運転席の窓ガラスに、
新しい手形が一つ。
そして、その下に指でなぞったような文字が残っていた。
「どうして振り返らなかったの?」
それ以来、二人は二度と清滝トンネルには近づかなかった。
ただ、今でも友人はこう言う。
「あの夜、本当に怖かったのは女じゃない」
「じゃあ、何だったんだ?」
そう聞くと、友人は少し黙ってから答える。
「トンネルを出たあと、俺はずっと後ろを見てたんだ」
「……え?」
「お前には言わなかったけど」
友人は震える声で続けた。
「ずっと車の後ろに、女が走ってついてきてた」
「でも、車は時速五十キロくらい出てたよな?」
「ああ」
「じゃあ、なんで追いつけたんだ?」
友人は答えなかった。
ただ最後に、こう言った。
「……あの女、走ってたんじゃない」
「ずっと、車の後ろを歩いてたんだよ。」
時速五十キロで走る車と、
同じ速度で歩き続けながら。
――清滝トンネルには、今もさまざまな怪談が語り継がれている。
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