旧小別沢トンネル――「後ろから聞こえる足音」
札幌の山あいに、ひっそりと残る旧小別沢トンネル。
昼間に見ると、ただ古びたトンネルにしか見えない。
しかし、この場所には昔から、妙な噂があった。
「トンネルの中で、後ろから足音が聞こえても、絶対に振り返るな」
ある冬の夜、男はその噂を確かめるため、ひとりでトンネルへ向かった。
時計は午前一時を過ぎていた。
雪の積もった道を歩き、トンネルの入口に立つ。
中は真っ暗だった。
スマートフォンのライトを点け、ゆっくりと歩き始める。
コツ……コツ……。
自分の靴音だけが、壁に反響していた。
ところが、しばらく進んだところで、
「……コツ」
後ろから、もう一つ足音が聞こえた。
男は立ち止まった。
足音も止まる。
気のせいだと思い、再び歩く。
コツ……コツ……。
すると今度は、
コツ……コツ……コツ……。
明らかに、誰かが後ろを歩いている。
男は振り返らなかった。
噂を思い出していた。
――絶対に振り返るな。
足音は少しずつ近づいてくる。
コツ……コツ……。
コツ……コツ……。
そして、とうとう耳元のすぐ後ろで、
「……一緒に出よう」
女の声がした。
男は恐怖で動けなくなった。
それでも振り返らず、必死に出口へ向かって歩いた。
やがて前方に、小さな光が見えた。
出口だ。
男は走った。
トンネルを飛び出し、振り返る。
そこには誰もいなかった。
安心してスマートフォンを見ると、奇妙なことに気づいた。
録音アプリが、いつの間にか起動している。
しかも、トンネルに入った瞬間から録音されていた。
震える手で再生する。
最初は、自分の足音だけ。
そして途中から、もう一人分の足音が重なっている。
最後には、あの女の声。
男は息を止めた。
録音の最後に、もう一つ声が入っていたからだ。
それは、トンネルの中では聞こえなかった声だった。
――「どうして、振り返らなかったの?」
その瞬間。
男の背後から、
コツ……。
足音が一つだけ聞こえた。
それ以来、男は旧小別沢トンネルには二度と近づかなかったという。
そして今でも、夜のトンネルを歩く人の中には、
「自分の足音に、もう一人分の音が混ざっている」
と話す者がいる。
ただし――
その足音が聞こえても、決して振り返ってはいけない。
振り返った人だけが、
「何を見たのか」を話せなくなるからだ。
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