田原坂――雨の中の兵士
その日は、朝から雨だった。
熊本県の田原坂を訪れたのは、夜の八時を過ぎた頃だった。
昼間なら、歴史を感じさせる静かな場所なのだろう。
しかし夜になると、あたりは驚くほど暗い。
雨が木々を叩き、遠くから風の音が聞こえてくる。
私は車を降り、坂道を少し歩いてみることにした。
すると――
「……ドン」
どこからか、低い音が聞こえた。
雷かと思った。
だが、数秒後。
「ドン……ドン……」
今度は二度。
まるで、遠くで銃声が響いているようだった。
私は立ち止まった。
田原坂は、西南戦争の際に激しい戦闘が行われた場所だ。
雨の中、銃声が途切れることなく響いたという。
「まさかな……」
そう呟いて歩き始めた。
すると、前方に誰かが立っていた。
雨の中、傘も差さずにじっと立っている。
服装がおかしい。
暗くてはっきりとは見えないが、現代の服ではない。
私は声をかけようとした。
その瞬間――
男がゆっくり振り返った。
顔が見えた。
泥と雨で汚れた顔。
そして、額から血を流していた。
男は私を見つめたまま、小さな声で言った。
「……まだ、戦は終わらんのか」
意味が分からなかった。
「え?」
聞き返した瞬間、男の姿が消えた。
そこには誰もいない。
ただ、雨だけが降っていた。
私は急いで車へ戻った。
エンジンをかけ、坂を下ろうとした。
しかし――
「カン……カン……」
車の屋根から音がする。
誰かが手で叩いているようだった。
「カン……カン……カン……」
怖くなってアクセルを踏んだ。
そのまま坂を下り、しばらく走ったところで、ようやく音が止まった。
翌朝。
私は車を確認した。
屋根には何もなかった。
だが、フロントガラスに奇妙なものが残っていた。
泥で書かれたような文字。
そこには――
「まだ、ここにいる」
と書かれていた。
私はすぐに車を洗った。
そして二度と、夜の田原坂には行かないと決めた。
それから数年後。
田原坂について調べていた私は、古い記録の中に気になる話を見つけた。
激戦の最中、雨と銃煙の中で多くの兵士が倒れたこと。
そして戦いが終わった後も、夜になると「銃声を聞いた」「兵士の姿を見た」という噂が残っていること。
もちろん、それが本当に霊の仕業なのかは分からない。
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