千葉寺――夜の境内に立つ女
夜の千葉寺は、昼間とはまるで違う顔を見せる。
これは、千葉寺の近くに住む男性から聞いたという話だ。
ある夏の夜、男性は仕事から帰る途中、千葉寺の近くを通りかかった。
時刻は午後11時を過ぎていた。
昼間なら人の姿も見える境内は、夜になるとひっそりと静まり返っている。
男性が寺の前を通り過ぎようとした、そのときだった。
「……すみません」
背後から、女性の声がした。
男性が振り返る。
しかし、そこには誰もいない。
気のせいだと思い、そのまま歩き出した。
ところが――
「……すみません」
今度は、すぐ耳元で聞こえた。
驚いて振り返ると、境内の入口に一人の女が立っていた。
白っぽい服を着て、長い髪を顔の前に垂らしている。
男性は、道を尋ねたいのだろうと思い、
「どうしました?」
と声をかけた。
女はゆっくり顔を上げた。
そして、小さな声でこう言った。
「私……ここから出られないんです」
男性は意味が分からなかった。
境内から出る道はいくらでもある。
「そこを出ればいいですよ」
そう言った瞬間だった。
女の顔が、ゆっくりと歪んだ。
そして、
「出られないんです」
同じ言葉を繰り返した。
その声が妙に重なって聞こえた。
一人の声ではない。
何人もの女が、同時に同じ言葉を呟いているようだった。
男性は怖くなり、その場から走って逃げた。
しばらく走ったところで、恐る恐る後ろを見る。
誰も追ってきてはいなかった。
安心して前を向いた、その瞬間――
道路の先に、さっきの女が立っていた。
男性は息を呑んだ。
女は微動だにしない。
そして、ゆっくりと手を上げると、寺の方向を指差した。
「……まだ、いるよ」
男性には、その意味が分からなかった。
翌日、明るくなってから男性は千葉寺の前を通った。
昨夜のことを確かめるためだった。
しかし、境内には何も変わった様子はない。
ただ、一つだけ気になった。
境内の奥から、誰もいないはずなのに――
女の声が聞こえた気がした。
「……出られない」
男性は二度と、夜の千葉寺には近づかなくなったという。
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