緑山峠――夜道に立つ女

深夜一時を過ぎた頃だった。

その夜、男は車で山道を走っていた。

目的地までの近道として、緑山峠を抜けるルートを選んだのだ。

昼間なら何ということのない道だった。

しかし、夜になると雰囲気がまるで違う。

街灯は少なく、ヘッドライトが照らす先だけが白く浮かんでいる。

ラジオもいつの間にか雑音ばかりになっていた。

「……嫌な道だな」

そう呟いた、その時だった。

道路脇に、人が立っていた。

白っぽい服を着た女だった。

こんな時間に、こんな場所で。

男は一瞬迷ったが、そのまま通り過ぎようとした。

すると女が、ゆっくり顔を上げた。

ヘッドライトに照らされた顔は、妙に青白かった。

そして――

女がこちらに向かって手を上げた。

まるで「乗せて」と言っているようだった。

男はアクセルを踏み込んだ。

その瞬間。

後部座席から、

「……止まって」

という声が聞こえた。

男の背筋が凍った。

車内には、自分一人しかいない。

「誰だ?」

振り返ることができなかった。

すると今度は、耳元で囁くような声がした。

「どうして……置いていくの?」

男は恐怖でハンドルを握りしめた。

そして、バックミラーを見てしまった。

そこには――

後部座席に、さっき峠道に立っていた女が座っていた。

女は俯いたまま、濡れた髪を垂らしている。

男が悲鳴を上げた瞬間、車のエンジンが突然止まった。

真っ暗になった車内。

数秒後。

後部座席から、ゆっくりと声が聞こえた。

「……ここ、どこ?」

男は震えながら答えた。

「緑山峠……」

すると女は、初めて顔を上げた。

その顔には目がなかった。

そして――

「じゃあ……帰れないね」

その直後、エンジンが勝手にかかった。

車は男の意思とは関係なく、峠道を走り始めた。

翌朝。

峠の途中で、一台の車が発見された。

車内には誰もいなかった。

ただ、後部座席だけが異様に濡れていたという。

そして運転席の窓には、内側から指で書かれたような文字が残っていた。

――「次は、あなたを置いていかない」

それ以来、深夜の緑山峠では、

道路脇に立つ女を見たという話が、時々聞かれるようになった。

ただし、その女を見ても――

決して車を止めてはいけない。

なぜなら、一度乗せてしまうと、

その女が降りる場所は、

峠の途中ではないからだ。

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