群馬の森――夜の遊歩道
夜の群馬の森には、昼間とはまったく違う空気が流れている。
ある夏の夜、友人と二人で森を訪れた。
昼間なら人の姿もある広い公園だが、日が落ちると周囲は驚くほど静かだった。
「こんなところ、夜に来るもんじゃないな」
そう言いながら歩いていると、前方の遊歩道に人影が見えた。
白っぽい服を着た女性だった。
こちらには背を向けたまま、ゆっくり歩いている。
「誰かいるじゃん」
声をかけようとした、その瞬間だった。
女性の足元を見て、友人が黙り込んだ。
――足音がしない。
こちらには確かに人間のように見えているのに、女性が歩くたびに地面の草だけが揺れている。
「……帰ろう」
友人が小声で言った。
二人で引き返そうとした、そのとき。
後ろから、
「……待って」
女の声が聞こえた。
振り返る。
誰もいない。
しかし、さっきまで遠くにいたはずの女性が、今度は数メートル先の木の陰に立っていた。
顔は見えない。
ただ、こちらをじっと見ているようだった。
怖くなって走り出した。
森の出口を目指して無我夢中で走る。
ところが、どれだけ走っても出口に着かない。
そして突然、友人が立ち止まった。
「……おかしい」
「何が?」
友人は震える手で前方を指差した。
そこには、さっき見た女性が立っていた。
しかも今度は、こちらを向いている。
顔は暗闇に隠れていて、表情までは分からない。
その女性が、ゆっくり右手を上げた。
そして、
「……そっちじゃないよ」
そう言った。
次の瞬間、森の中にいたはずなのに、二人の背後から車の走る音が聞こえた。
慌てて振り返ると、そこには森の出口があった。
二人は一言も話さず、その場から逃げ出した。
後日、友人に「あの女性は誰だったんだろう」と聞いてみた。
すると友人は、しばらく黙ったあとこう答えた。
「……あの夜、俺たちが見たのは一人じゃなかったと思う」
「どういうこと?」
「森の出口に出る直前、木の間に何人も立ってた」
友人が言うには、暗闇の中から無数の人影がこちらを見ていたという。
そして、その中で一人だけ。
あの白い服の女性が、こちらに背を向けていた。
まるで、何かから二人を隠すように――。
それ以来、二人は夜の群馬の森には近づいていない。
ただ友人は今でも、森の近くを通るときだけ、必ず窓を閉める。
「あそこでは、夜に名前を呼ばれても絶対に返事をするな」
そう言って。
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