山形の卸売市場――誰もいない競り場

山形の卸売市場では、まだ街が眠っているような早朝から人が動き始める。

その中でも、深夜の市場は昼間とはまったく違う。

照明の消えた建物。
シャッターの下りた店舗。
誰もいないはずの広い通路。

そして、冷蔵庫から漏れてくる低い機械音だけが、建物の中に響いている。

これは、ある市場関係者から聞いたという話だ。

その男性は、ある夜、仕事で市場に残っていた。

時計を見ると、午前2時を少し回っていた。

「もう誰もいないよな」

そう思いながら、最後の確認をするため競り場へ向かった。

市場の奥にある競り場は、昼間なら人の声や台車の音で騒がしい場所だった。

しかし、その夜は完全な無音だった。

男性が電気をつける。

パッ――。

白い蛍光灯が、広い床を照らした。

誰もいない。

「……よし」

そう呟いて戻ろうとした、その時だった。

カツン。

背後から、小さな音がした。

誰かが床に何かを置いたような音だった。

男性は振り返った。

何もない。

「気のせいか……」

そう思って歩き出す。

すると、

カツン。

また音がした。

今度は、さっきより近い。

男性は足を止めた。

そして、恐る恐る振り返った。

やはり誰もいない。

ところが――

競り場の中央に置かれていた台車が、数メートル移動していた。

男性は一瞬、言葉を失った。

「……誰かいるのか?」

返事はない。

そのまま急いで事務所へ戻ろうとした。

すると、背後から声が聞こえた。

「……まだ、終わってないよ」

男性は凍りついた。

女性とも男性とも分からない、低い声だった。

振り返ることができなかった。

その直後、

ガラガラガラ……

市場の奥から、台車を押すような音が聞こえてきた。

しかも、一台ではない。

ガラガラ……。

ガラガラ……。

ガラガラ……。

暗い通路の向こうから、何台もの台車が近づいてくる。

男性は走った。

事務所まで一気に駆け込み、鍵を閉めた。

しばらくして、外の音が消えた。

静かになった。

男性は震えながら時計を見た。

午前2時17分。

その時だった。

事務所の外から、

「次……お願いします」

という声がした。

男性は息を殺した。

ドアの向こうに、誰かが立っている。

そして、

コン、コン、コン。

ゆっくりとドアが叩かれた。

男性は絶対に開けなかった。

数分後、足音は遠ざかっていった。

翌朝。

市場に人が戻ってくると、男性は昨夜のことを同僚に話した。

すると、一人の年配の作業員が黙り込んだ。

「……それ、昔からある話だよ」

男性が聞き返す。

「何がですか?」

作業員は競り場の方を見ながら言った。

「昔、夜中の市場で事故があってな。誰もいない時間に、台車が動いたとか、競り場から声が聞こえたとか……そういう話が何度もあった」

そして最後に、こう付け加えた。

「だから夜中に競り場へ行った時は、絶対に返事をしちゃいけない」

「……どうしてですか?」

作業員は小さな声で答えた。

「返事をすると……次の競りに呼ばれるからだ」

男性は、その言葉を聞いて背筋が凍った。

そして、その日の朝。

競り場を掃除していた作業員が、床に残った奇妙な跡を見つけた。

台車の車輪跡だった。

しかし、その跡は競り場の中央から始まり――

誰もいないはずの事務所のドアの前まで続いていた。

そしてドアの前には、

濡れた靴跡が一つだけ残っていた。

市場が一番静かになる、午前2時17分。

もしその時間に、誰もいない競り場から、

「次、お願いします」

と聞こえてきたら――

絶対に返事をしてはいけない。

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