天狗茶屋――窓の向こうの女

仙台の山奥、大倉ダムの近くに、かつて一軒の茶屋があった。

その名は――天狗茶屋。

昼間なら、ただの古びた建物に見える。

しかし、日が落ちると雰囲気が変わる。

窓は黒く、店内は完全な闇。

そして、この場所には昔から妙な噂があった。

「夜になると、女が窓から外を見ている」

そんな話だった。

ある秋の夜、二人の若者が天狗茶屋の近くまでやって来た。

「本当に誰かいるのかな?」

懐中電灯を手に、建物を眺める。

当然、店は閉まっている。

人の気配などない。

そう思った、その時だった。

――カラン。

店の奥から、食器が触れ合うような音がした。

二人は顔を見合わせた。

「……今の聞いた?」

もう一度、耳を澄ます。

静寂。

風の音しか聞こえない。

「気のせいだろ」

そう言って帰ろうとした瞬間。

建物の二階にある窓に――

女が立っていた。

白い服。

長い髪。

そして、こちらをじっと見ている。

二人は声も出せなかった。

女は微動だにしない。

ただ、こちらを見ている。

「……逃げよう」

一人が小さく言った。

その瞬間――

女の顔が、ゆっくり窓に近づいた。

そしてガラス越しに、

ニヤッ

と笑った。

二人は一目散に走った。

車まで戻り、ドアを閉める。

エンジンをかけようとした、その時だった。

助手席の男が突然、

「……なあ」

と呟いた。

「何?」

「俺たち……二人だったよな?」

運転席の男が振り返る。

「当たり前だろ」

「じゃあ……」

男は震える手で、後部座席を指差した。

そこには――

濡れた髪の女が座っていた。

白い顔。

真っ黒な目。

女は二人を見つめながら、ゆっくり口を開いた。

「……どうして、帰るの?」

その瞬間、車内のライトが消えた。

真っ暗闇。

二人は必死にドアを開けようとした。

しかし、どのドアも開かない。

そして暗闇の中から、

――カラン。

――カラン。

食器の音が聞こえてきた。

まるで、誰かが店の中で食事の後片付けをしているようだった。

やがて、後部座席から女の声がした。

「……まだ、お客さんが一人いるでしょう?」

二人は凍りついた。

「一人……?」

その言葉と同時に、

運転席の男の肩に、

冷たい手が置かれた。

そして耳元で――

「あなた……ずっと私を見てたでしょう?」

翌朝。

山道を通った人が、道路脇に停まった車を発見した。

車内には誰もいなかった。

ただ、後部座席だけが異様に濡れていたという。

そして天狗茶屋の窓には――

前夜にはなかったはずの、

小さな手形が三つ。

内側から押しつけたように、

くっきりと残っていた。

そのうち一つは、

まるで誰かが外へ出ようとしていたかのように、

窓の端へ向かって伸びていた。

そして、それ以来。

夜の天狗茶屋の前を通ると、

誰もいないはずの建物の中から、

今でも時々、

――カラン。

――カラン。

食器の音が聞こえるという。

ただし。

その音を聞いた人が決して振り返ってはいけない。

なぜなら――

窓の外ではなく、すぐ後ろに「お客さん」が立っているからだ。

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