長良川――川面に浮かぶもう一艘
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夏の夜、長良川の近くを車で走っていた。
昼間は観光客で賑わう川沿いも、深夜になると人影はほとんどない。
川の向こうには金華山の黒い影。
風が止むと、長良川の水面は鏡のように静まり返っていた。
その夜、私は車を路肩に停め、川を眺めていた。
すると、暗闇の向こうから小さな明かりが見えた。
最初は街灯だと思った。
しかし、その明かりはゆっくりと川の上を移動している。
「船……?」
長良川では鵜飼が行われることで知られている。
だが、その時間には当然、船が出ているはずもない。
私は目を凝らした。
明かりは、篝火のように赤く揺れていた。
そして、その下に一艘の小さな船が見えた。
船の上には、人影が一つ。
黒い服を着た男が、川下をじっと見つめている。
不思議だった。
船は水の上に浮かんでいるはずなのに、波紋がまったく見えない。
音もしない。
櫂を動かしている様子もない。
ただ、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
そのときだった。
男が突然、こちらを振り向いた。
距離はかなり離れていた。
それなのに、なぜか顔だけがはっきり見えた。
真っ白な顔だった。
そして、口がゆっくり開いた。
声は聞こえなかった。
だが、私はなぜかその言葉を理解した。
――「まだ一人、乗っていない」
背筋が凍った。
その瞬間、川面にもう一つの明かりが浮かんだ。
いや、一つではない。
二つ、三つ、四つ……。
暗い長良川の上に、次々と篝火が現れていく。
気づけば、川には何艘もの船が並んでいた。
どの船にも、人影が立っている。
そして全員が、こちらを見ていた。
怖くなった私は車に戻り、急いでエンジンをかけた。
バックミラーを見る。
そこには、誰もいなかった。
川も、船も、篝火も消えている。
ただ、真っ暗な水面だけが残っていた。
安心してアクセルを踏もうとした、そのとき――。
車の後部座席から、
「まだ乗ってないよ」
と、低い声が聞こえた。
振り返ることはできなかった。
そのまま車を走らせ、家に帰った。
翌朝、車を確認すると、後部座席には水滴がいくつも落ちていた。
そして窓ガラスには、内側から指でなぞったような文字が残っていた。
「次は一緒に川へ行こう」
それ以来、私は夜の長良川には近づいていない。
今でも長良川では、夜の川面を篝火が照らす鵜飼の光景を見ることができる。
だが、地元ではこんな話もあるという。
深夜、誰もいないはずの川から船の音が聞こえたとき――
川を覗き込んではいけない。
水面に映っているのが、自分の姿とは限らないからだ。
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