三坂峠――後ろから聞こえるクラクション
愛媛県の山間部にある三坂峠。
昼間は車の往来もある普通の峠道だが、夜になると周囲は一気に暗くなる。
これは、ある男性が深夜に三坂峠を車で越えたときの話だ。
その男性は仕事帰りで、時刻は午前1時を過ぎていた。
峠道を走っていると、バックミラーに一台の車が映った。
白い乗用車だった。
「こんな時間に珍しいな」
そう思いながら、男性はそのまま走り続けた。
ところが、しばらくすると異変に気づいた。
後ろの車が、異様なほど近い。
車間距離は、わずか数メートル。
しかも、何度見ても運転席に人影が見えない。
男性は怖くなり、少し速度を上げた。
すると――
後ろの車も同じように速度を上げてきた。
そして突然、
「プッ……プッ……」
クラクションが鳴った。
男性は道を譲ろうと左に寄った。
しかし、白い車は追い越してこない。
ただ、ぴったり後ろについてくる。
やがて峠の頂上付近に差しかかったとき、男性は意を決して車を停めた。
そして振り返った。
――誰もいない。
さっきまで確かにいた白い車が、跡形もなく消えていた。
男性は震えながら車を発進させた。
その直後だった。
「プッ……」
後部座席から、クラクションの音が聞こえた。
男性は凍りついた。
車にはクラクションを鳴らす装置などない。
それでも、
「プッ……プッ……」
と、すぐ後ろから音がする。
怖くて振り返ることができない。
そして、峠を下り始めたとき――
バックミラーに、白い車が映った。
今度は後ろではなかった。
男性の車の後部座席に座っていた。
白い服を着た女が、無表情でこちらを見ていた。
男性は悲鳴を上げ、アクセルを踏み込んだ。
次の瞬間、女が小さな声で呟いた。
「……乗せて」
男性はそのまま峠を下り、明け方に麓のコンビニへ逃げ込んだ。
震える手で店員に事情を話した。
そして車を確認してもらった。
しかし、後部座席には誰もいない。
ただ一つだけ。
後部座席の窓には、内側から押しつけたような――
白い手形が残っていた。
それ以来、男性は夜中に三坂峠を通ることをやめたという。
そして地元では、こんな噂が囁かれている。
「三坂峠で深夜、後ろからクラクションを鳴らされても、絶対に振り返ってはいけない」
もし振り返ってしまったら――
その車に乗っているのは、あなたを追い越したい誰かではない。
あなたの車に、乗りたい誰かなのだ。
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