高松の池――水面に立つ女
盛岡の高松の池には、昔から妙な噂がある。
夜遅く、池のほとりを一人で歩いていると、水面に「立っている人」が見えることがあるという。
ある冬の夜、一人の男が高松の池を訪れた。
雪は細かく降り続き、池の周囲には人の気配がほとんどなかった。
男が遊歩道を歩いていると、池の向こう側に白い人影が見えた。
「……誰だ?」
目を凝らす。
女だった。
白い服を着た女が、池の真ん中に立っている。
しかも、沈んでいない。
水面の上に、まるで地面に立っているかのように、じっと立っていた。
男は怖くなって、その場を離れようとした。
その瞬間だった。
女がゆっくりこちらを向いた。
距離があるため、顔までは見えない。
だが、なぜか男には分かった。
女は――笑っていた。
男は走って逃げた。
後ろを振り返ることはできなかった。
しばらく走ったところで、スマートフォンが鳴った。
知らない番号だった。
恐る恐る画面を見る。
着信履歴には、こう表示されていた。
「高松の池」
男は電話に出なかった。
すると、すぐに留守番電話が入った。
再生すると、聞こえてきたのは小さな女の声だった。
「……どうして、帰るの?」
男はスマートフォンを落とした。
そして、ふと気づいた。
その声は、電話から聞こえていたのではない。
すぐ後ろから聞こえていた。
男は振り返れなかった。
ただ、背中越しに感じる冷たい気配だけが、少しずつ近づいてくる。
そして耳元で、女が囁いた。
「池の中に……忘れ物があるの」
翌朝。
高松の池のほとりには、男のスマートフォンだけが落ちていた。
画面には、昨夜撮影された一枚の写真が残っていた。
池の中央。
雪の降る水面に、白い女が立っている。
そして写真の手前には――
撮影者の肩に手を置く、もう一人の女の顔が写っていた。
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