姉さんビル――夜の階段

そのビルには、昔から妙な噂があった。

夜になると、誰もいないはずの階段から、女の足音が聞こえるという。

――コツ、コツ、コツ。

ゆっくりと、一段ずつ上がってくる足音。

その場所を知る人たちは、その女性を「姉さん」と呼んでいた。

ある夜、私は友人と二人で、そのビルの前に立っていた。

時刻は午前一時を過ぎていた。

「本当に行くの?」

友人が小さな声で聞いてきた。

私は笑って、ビルの中へ入った。

内部は暗く、古びた階段には長い年月の埃が積もっていた。

一階から二階へ。

二階から三階へ。

何も起こらない。

ところが、三階に差しかかったときだった。

上の階から、かすかな音が聞こえた。

――コツ。

二人とも足を止めた。

――コツ、コツ。

誰かが階段を下りてくる。

「誰かいるのか?」

友人が声をかけた。

返事はない。

それでも足音だけは近づいてくる。

――コツ、コツ、コツ。

やがて、階段の踊り場に人影が現れた。

長い髪の女だった。

顔は俯いていて、表情は見えない。

私たちは思わず後ずさった。

その女は、何も言わずにこちらへ近づいてくる。

そして、私の横を通り過ぎた。

すれ違った瞬間、耳元で小さな声がした。

「……まだ、上にいるよ」

振り返った。

しかし、そこには誰もいなかった。

友人の姿もない。

「おい……?」

呼びかけても返事がない。

慌てて階段を下りようとした、そのとき。

背後から、また足音が聞こえた。

――コツ。

――コツ。

――コツ。

今度は、すぐ後ろだった。

私は振り返ることができなかった。

そして耳元で、女の声がした。

「……姉さんを置いていかないで」

その瞬間、ビルの中の電気が一斉に消えた。

翌朝、私はビルの外で一人で目を覚ました。

友人は少し離れた場所で倒れていた。

二人とも無事だった。

ただ、友人には一つだけ奇妙な記憶が残っていた。

「昨日さ……お前の後ろに、ずっと女の人がいたよな?」

私は何も答えられなかった。

なぜなら、私のスマートフォンに、昨夜撮った覚えのない写真が一枚残っていたからだ。

暗い階段。

その中央に、長い髪の女が立っている。

そして写真の端には、私たち二人の後ろ姿。

そのさらに後ろに――

もう一人、女が写っていた。

三人目の女は、カメラを見つめながら笑っていた。

その顔は、写真を撮った私にそっくりだった。

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