雪割橋――橋の下から呼ぶ声
秋の終わり、男は一人で雪割橋を訪れた。
昼間は観光客の姿もあったが、夕方になると周囲は急に静かになった。
橋の上から谷を見下ろすと、木々の隙間を縫うように川が流れている。
男が手すりに寄りかかり、何気なく下を眺めていると――
「……すみません」
突然、声が聞こえた。
振り返った。
しかし、橋の上には誰もいない。
気のせいだと思い、もう一度谷底を見る。
すると今度は、はっきり聞こえた。
「……すみません。こっちです」
声は、橋の真下からだった。
男は恐る恐る身を乗り出した。
だが、木々が生い茂っていて、川面すらよく見えない。
「誰かいるんですか?」
そう叫んだ瞬間だった。
「……やっと見つけてくれた」
今度は、すぐ耳元で声がした。
男は慌てて振り返った。
そこには――
濡れた髪を顔に張りつかせた女が立っていた。
男は声も出せず、後ずさった。
女はじっと男を見つめている。
そして、小さな声でこう言った。
「下にいるんです」
男は恐怖で動けなくなった。
女は橋の手すりを指差した。
「ずっと……下から呼んでるんです」
その瞬間、橋の下から大量の水が流れるような音が響いた。
男が反射的に谷を見下ろす。
そこには誰もいない。
慌てて振り返ると、女の姿も消えていた。
ただ、橋の上には水滴だけが残されていた。
男は逃げるように車へ戻った。
そして翌朝、撮影した写真を確認していると、一枚だけ見覚えのない写真があった。
それは、橋の下を撮影した写真だった。
暗い木々の間に、白い顔が写っている。
そして写真を拡大すると――
その顔の口が、ほんの少し開いていた。
まるで、
「こっちです」
と、もう一度呼びかけているように。
それ以来、男は橋の下を二度と見ないようにしているという。
雪割橋では、夕暮れ時に橋の下から声を聞いても、決して返事をしてはいけない。
返事をすると――
今度は、橋の上ではなく、あなたのすぐ後ろから声が聞こえる。
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