徳島藩刑場跡――夜に聞こえる「やめてくれ」
徳島の町から少し離れた、木々に囲まれた静かな場所。
そこには、かつて徳島藩の刑場があったと伝えられている。
今では当時の面影はほとんどなく、昼間に訪れても、ただの静かな場所にしか見えない。
だが、地元では昔から、
「夜に行くと、誰かの声が聞こえる」
という噂があった。
ある夏の夜、大学生の男が友人と二人でそこを訪れた。
時刻は午前一時を過ぎていた。
懐中電灯で周囲を照らしながら歩いていると、突然、友人が立ち止まった。
「……今、何か聞こえなかった?」
男が耳を澄ます。
風の音。
木の葉が擦れる音。
そして――
「……やめてくれ」
かすかな男の声が聞こえた。
二人は顔を見合わせた。
「今の、聞いたよな?」
返事をする者はいなかった。
怖くなった二人は、その場を離れようとした。
その瞬間。
背後から、
ザッ……ザッ……
と、誰かが歩いてくるような音がした。
振り返っても誰もいない。
しかし足音だけが近づいてくる。
ザッ……。
ザッ……。
ザッ……。
そして耳元で、
「まだ……帰れない……」
と、低い声がした。
二人は夢中で走った。
車まで戻り、急いでエンジンをかける。
ところが、友人が突然、
「……おい」
と呟いた。
「何だよ?」
友人は震える手で、車の後部座席を指差した。
そこには誰も乗っていない。
それなのに――
後部座席の窓には、内側から手形がいくつも付いていた。
しかも、その手形はすべて、
車の外ではなく、車内側から押しつけられたものだった。
二人はそのまま一言も話さず、その場所を後にした。
翌朝。
車を確認すると、手形は跡形もなく消えていた。
ただ一つだけ、不思議なものが残っていた。
後部座席のシートに、白い粉のようなものが落ちていたのだ。
それを見た地元の老人は、二人の話を聞くと、
「そこでは、夜に名前を呼ばれても返事をするな」
とだけ言った。
そして最後に、こう付け加えた。
「返事をすると、帰る人数が一人増えることがあるからな」
それ以来、二人は二度と徳島藩刑場跡へ近づかなかったという。
――ただ、あの夜以来。
男の家では、深夜になると決まって玄関の外から、
「……やめてくれ」
という声が聞こえるようになった。
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