滝沢峠――後ろから聞こえる足音
夜の滝沢峠は、昼間とはまるで別の場所だった。
車のライトが照らすのは、細い道と、その両脇に広がる黒い木々だけ。
ある晩、一人の男が峠道を車で走っていた。
時刻は午前一時を過ぎていた。
しばらく進むと、突然、車の後ろから――
「コン、コン……」
小さな音が聞こえた。
最初は石でも跳ねたのだろうと思った。
だが、音は一度では終わらなかった。
「コン、コン……」
まるで誰かが、車の後部を指で叩いているようだった。
男は怖くなりながらも、バックミラーを見た。
しかし、そこには誰もいない。
道の後ろには、ただ暗闇が続いているだけだった。
気味が悪くなった男は、アクセルを踏み込んだ。
すると今度は、
「タッ……タッ……タッ……」
車の後ろから、走るような足音が聞こえてきた。
しかも、その音は車が速度を上げるほど速くなっていく。
男はバックミラーを見ないようにした。
だが、どうしても気になり、もう一度だけ鏡を確認した。
その瞬間――
後部座席に、誰かが座っていた。
長い髪を垂らし、うつむいた人影。
男は声も出せなかった。
次の瞬間、車内の空気が急に冷たくなった。
そして耳元で、
「……乗せて」
と、小さな声がした。
男は夢中で車を走らせ、峠を下った。
明るい場所まで来てから、恐る恐る後部座席を振り返る。
そこには誰もいなかった。
ただ、座席には泥で濡れた二本の足跡だけが残っていた。
そして翌朝。
車を確認すると、後部座席の窓の内側に、指で書かれたような文字が残っていた。
――「次は降ろして」
それ以来、男は夜の峠道を二度と通らなくなった。
しかし、滝沢峠を深夜に走った人の中には、今でも聞くという。
誰もいないはずの後部座席から聞こえてくる、
「コン、コン……」
という、窓を叩く音を。
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