久能山の「もう一人の参拝者」
夜の久能山は、昼間とはまるで別の場所だった。
昼間なら観光客の声が響き、石段を上る人の姿も絶えない。
しかし、日が落ちると――長い石段は闇の中へ消えていく。
ある男が、深夜に久能山を訪れた。
理由は単純だった。
「夜の久能山を撮影したら、何か映るんじゃないか」
そんな軽い気持ちで、カメラを片手に石段を上り始めた。
一段、また一段。
周囲には木々しかない。
風が吹くたび、葉が擦れる音がする。
そして、石段の途中で男は奇妙なことに気づいた。
――後ろから、誰かが歩いてくる。
「……コツ、コツ、コツ」
石段を踏む足音だった。
男が振り返る。
誰もいない。
「気のせいか……」
そう思って、再び歩き始める。
すると――
「コツ、コツ、コツ」
今度は先ほどより近い。
男は立ち止まった。
足音も止まった。
恐る恐る振り返る。
やはり誰もいない。
だが、カメラを確認すると、背後の暗闇に小さな白い影が写っていた。
人のようにも見える。
男は怖くなり、急いで先へ進んだ。
しばらくすると、今度は前方から声が聞こえた。
「……待って」
男は凍りついた。
誰かがいる。
そう思ってライトを向ける。
しかし、そこには誰もいない。
ただ、古い石段が続いているだけだった。
その瞬間――
背後から、耳元で囁く声がした。
「置いていかないで」
男は悲鳴を上げ、走って石段を下りた。
途中で何度も転びそうになりながら、必死に逃げる。
ようやく車まで戻ると、震える手でカメラを確認した。
そこには、奇妙な写真が一枚だけ残っていた。
石段を歩く男の背後。
そこに――
白い着物を着た人影が、ぴったりと寄り添うように立っていた。
そして男が最も恐ろしいことに気づいたのは、その写真ではなかった。
写真を撮った時間を見ると、
男が一人で石段を上っていたはずの時間に、
写真には――
「二人分の影」
が写っていた。
それ以来、男は夜の久能山には二度と近づかなかった。
だが、数年後。
男が久しぶりにその写真を見返すと、不思議なことが起きていた。
写真の中の白い人影が――
以前よりも少しだけ、
こちらに近づいていた。
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