七北田念仏
仙台の七北田周辺には、昔から「夜に念仏の声を聞いても、決して返事をしてはいけない」という話が残っている。
ある夏の夜、私は友人と二人で七北田のあたりを歩いていた。
時刻は午前一時を過ぎていた。
住宅街を抜け、街灯の少ない道へ入ったときだった。
「……南無阿弥陀仏……」
遠くから、低い声が聞こえた。
二人とも足を止めた。
「今の、聞こえた?」
友人が小声で尋ねる。
「聞こえた。誰かお寺でもあるんじゃない?」
そう言って歩き始めた。
しかし、しばらくすると、また聞こえた。
「……南無阿弥陀仏……」
今度は、明らかに近い。
道の脇に人影はない。
それなのに、念仏だけが一定の間隔で聞こえてくる。
「南無阿弥陀仏……」
「南無阿弥陀仏……」
友人が立ち止まった。
そして、冗談半分に、
「誰かいるんですか?」
と声をかけた。
その瞬間だった。
念仏が止まった。
静寂が訪れる。
「……やばい」
友人が呟いた。
次の瞬間。
耳元で、
「……返事したな」
と、男の声がした。
私たちは同時に振り返った。
誰もいない。
ただ、少し先の暗闇に、白いものが立っていた。
人のようにも見える。
だが、顔がない。
白い影はゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「南無阿弥陀仏……」
今度は、ひとつではなかった。
「南無阿弥陀仏……」
「南無阿弥陀仏……」
「南無阿弥陀仏……」
暗闇のあちこちから、何人もの声が重なって聞こえた。
私たちは夢中で走った。
振り返らなかった。
ようやく明るい道路まで出たところで、友人が息を切らしながら言った。
「……一人、多くなかった?」
「何が?」
「さっき走ってるとき……俺たちの足音、三人分あった」
その言葉を聞いた瞬間、背筋が凍った。
二人しかいない。
なのに、確かに聞こえていた。
私たちの後ろを追いかける、もう一人の足音。
そしてその夜以来、友人の家では奇妙なことが起きるようになった。
毎晩、午前一時になると――
玄関の外から、
「南無阿弥陀仏……」
という声が聞こえる。
ある晩、友人は怖くなって玄関を開けてしまった。
そこには誰もいなかった。
ただ、玄関先の地面に泥で書かれた文字があった。
「次は、お前の番」
そして、その下には小さな足跡が続いていた。
玄関から家の中へ。
その足跡は、友人の寝室まで続いていたという。
以来、友人は夜中に念仏が聞こえても、絶対に返事をしなくなった。
ただ――
今でも午前一時になると、寝室の外から声が聞こえるらしい。
「……南無阿弥陀仏……」
そして最近では、その念仏の中に、
友人自身の声も混じるようになったという。
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