愛宕トンネル ―「後ろの車」
深夜0時を少し過ぎた頃だった。
仕事帰りの男は、甲府市内から自宅へ向かうため、愛宕トンネルを車で通っていた。
昼間なら何度も通ったことのある、何の変哲もないトンネルだった。
しかし、その日は妙に静かだった。
トンネルへ入る。
「……長いな」
いつもより距離が長く感じる。
バックミラーを見ると、後ろから一台の車がついてきていた。
白っぽい古い乗用車だった。
男は気にせず、そのまま走った。
ところが、トンネルの中央付近まで来たところで、後ろの車が突然ハイビームを点滅させた。
「なんだよ……」
煽られていると思った男は、少し速度を上げた。
それでも後ろの車は一定の距離を保ったまま、ついてくる。
そして出口が近づいてきた。
男はバックミラーを見た。
――車がいない。
「……え?」
さっきまで確かにいた。
慌ててもう一度見る。
やはり、誰もいない。
男は首をかしげながらトンネルを抜けた。
そして赤信号で停車したときだった。
後部座席から、
「コン……」
小さな音がした。
男は固まった。
もう一度。
「コン……コン……」
まるで、誰かが内側から窓を叩いている。
恐る恐るバックミラーを見る。
後部座席には誰もいない。
「気のせいだ……」
そう呟いて、信号が青になるのを待った。
その瞬間。
カーナビの画面が突然消えた。
そして、真っ黒になった画面に、後部座席の様子が反射して映った。
男は息を呑んだ。
そこには――
白い服を着た女が座っていた。
女は俯いている。
顔は見えない。
男は振り返れなかった。
アクセルを踏み、夢中で走った。
しばらくして、恐る恐るバックミラーを見る。
女はいなくなっていた。
だが、その代わりにミラーの端に、
さっきの白い車が映っていた。
男は震えながら車を停めた。
後ろを確認する。
誰もいない。
白い車もない。
ただ、後部座席の窓には、
内側から指でなぞったような跡が残っていた。
そこには、ひらがなで一文字だけ書かれていた。
「かえして」
男は何を返せと言っているのか分からなかった。
その後、男は二度と深夜に愛宕トンネルを通らなくなった。
しかし数週間後。
車を点検に出した整備士から、妙なことを言われた。
「この車、後ろのドア……最近ぶつけました?」
「いや、そんな覚えはありません」
整備士は首を傾げた。
そして、後部座席のドアを指差した。
そこには外側から付いたものではない、
人間の手形が五つ。
しかも、その手形は普通の大人のものより、はるかに小さかった。
整備士が最後に言った。
「これ……子どもの手みたいですね」
男はその言葉を聞いて、あの日のことを思い出した。
トンネルの中で聞こえた、
「コン……コン……」
あれは窓を叩いていた音ではなかった。
後部座席のドアを、誰かが内側から叩いていた音だった。
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