四十四田ダムの怖い話――湖面に立つ女
深夜の四十四田ダムには、昔から妙な噂がある。
「夜中、ダムの湖面を見てはいけない」
理由を聞いても、地元の人たちは詳しく話そうとしない。
ある夏の夜、大学生の健太は友人二人と四十四田ダムを訪れていた。
時計は午前一時を過ぎていた。
車を降りると、周囲は驚くほど静かだった。
風もない。
虫の声すら、ほとんど聞こえない。
「なんか……ここ、変じゃない?」
友人の一人がそう呟いた。
健太は笑って、
「怖がりすぎだろ」
と言いながら、懐中電灯を湖のほうへ向けた。
その瞬間だった。
湖面の中央に、白いものが浮かんでいるのが見えた。
「……あれ、何?」
三人が目を凝らす。
白い服を着た女性のように見えた。
しかし、そこは岸からかなり離れている。
人が立っていられる場所ではない。
「誰かいるのか?」
健太が声をかけた。
すると――
湖面に立っていた女が、ゆっくりとこちらを向いた。
顔は見えない。
長い黒髪だけが、風もないのに水面の上で揺れていた。
三人は言葉を失った。
次の瞬間。
女が一歩、こちらへ近づいた。
水面を歩いている。
「逃げろ!」
誰かが叫んだ。
三人は車へ走った。
しかし健太だけが、途中で足を止めた。
背後から、
「……ねえ」
という女の声が聞こえたからだ。
振り返る。
誰もいない。
だが、湖面を見ると――
さっきまで中央にいた女が、岸のすぐ近くに立っていた。
そして今度は、はっきりと顔が見えた。
その顔は真っ白で、目だけが異様に大きかった。
女は口を開いた。
「どうして……私を置いていくの?」
健太は悲鳴を上げ、車へ駆け込んだ。
三人はそのままダムを離れた。
ところが翌朝。
健太のスマートフォンに、昨夜撮った覚えのない写真が一枚保存されていた。
写真には、暗い湖面が写っている。
そして中央には――
白い服の女。
その後ろには、もう一人。
三人のうち誰も知らない女性が立っていた。
さらに不気味だったのは、写真の撮影時刻だった。
午前1時17分。
その時間、健太たちはすでに車の中にいた。
そして写真の端には、小さな文字のようなものが写り込んでいた。
拡大してみると、
「ひとり足りない」
と読めたという。
それ以来、健太は夜になると、水の音が聞こえるようになった。
風呂場でも、雨の日でもない。
何もない部屋の中で、
――ポチャン。
――ポチャン。
と、水滴が落ちる音がする。
そして時々、耳元で女の声がする。
「……まだ、ひとり足りないよ」
もし夜のダムを訪れることがあっても、暗い場所には近づかず、安全を最優先にしてほしい。
コメント
コメントを投稿