偕楽園の「誰もいない梅林」
夜の偕楽園は、昼間とはまるで別の場所だった。
昼には観光客で賑わう梅林も、日が落ちると静まり返る。風が木々の間を抜けるたび、梅の枝が擦れる音だけが聞こえていた。
ある晩、写真を撮るために偕楽園を訪れた男がいた。
時刻は午後十時を過ぎていた。
「さすがに誰もいないな……」
そう呟きながら、男は園内を歩いていた。
すると、少し離れた梅の木の下に、人影が見えた。
白い服を着た女だった。
「こんな時間に?」
男が声をかけようと近づく。
しかし、女は背を向けたまま動かない。
不思議に思った男がカメラを向け、シャッターを切った。
――カシャッ。
その瞬間、女がゆっくり振り返った。
顔は見えなかった。
長い髪が顔全体を覆っていたからだ。
男は気味が悪くなり、その場を離れた。
ところが、数十メートル歩いたところで、背後から声が聞こえた。
「……写真、撮った?」
男は振り返らなかった。
そのまま歩き続ける。
すると今度は、すぐ耳元で声がした。
「私も……写ってる?」
男は恐る恐るカメラの画面を確認した。
さっき撮った写真には、梅の木しか写っていなかった。
「なんだ……」
安心した男が次の写真を確認する。
そこには、遠くに立つ女の姿が写っていた。
そして、その写真を拡大した瞬間――
男の手が止まった。
女の顔には、目も鼻も口もなかった。
ただ真っ黒な穴のようなものだけが、こちらを向いていた。
慌てて写真を消そうとした、そのとき。
カメラの画面に新しい写真が一枚増えた。
撮った覚えのない写真だった。
そこには、今いる場所を歩いている男自身の後ろ姿が写っていた。
そして、その背後には――
白い服の女が立っていた。
男はゆっくり振り返った。
誰もいない。
しかし、梅の枝が一本だけ、不自然に揺れていた。
その夜以来、男は二度と偕楽園へ行かなかった。
後日、カメラに残っていた最後の写真を確認すると、そこには奇妙なものが写っていた。
男の背後に立っていた女の顔。
その口元だけが、はっきりと笑っていた。
写真の下には、撮影した覚えのない日時が表示されていた。
――午前二時十三分。
男が偕楽園を訪れたのは、午後十時だった。
では、その写真は一体、
誰が、いつ撮ったのだろうか。
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