兎越山の廃公園――トイレの横に立つ男
夜の兎越山は、昼間とはまるで別の場所だった。
山道を吹き抜ける風が木々を揺らし、葉と葉が擦れる音だけが、暗闇の中でいつまでも続いている。
その山の途中に、今ではほとんど使われなくなった小さな公園がある。
古びた東屋。
伸び放題になった草。
そして、公園の奥にひっそりと残る、使われていないトイレ。
そこでは以前から、
「夜になると、男の人影が見える」
という噂があった。
ある夏の夜、一人の男がその公園を訪れた。
肝試しというほど大げさなものではなかった。
ただ、山道を歩いているうちに、昔の公園がどんな場所なのか気になっただけだった。
懐中電灯を片手に、男は暗い階段を上っていった。
しばらくすると、木々の向こうに公園が見えた。
「……ここか」
誰もいない。
風も止まっている。
なのに、なぜか男は誰かに見られているような気がした。
背中に視線を感じる。
思わず振り返った。
しかし、そこには誰もいない。
「気のせいか……」
そう呟いて、公園の奥へ進んだ。
東屋を通り過ぎたところで、懐中電灯の光が古いトイレを照らした。
その瞬間だった。
トイレの横に、
人が立っていた。
黒い服を着た男だった。
顔は見えない。
ただ、こちらを向いて立っている。
男は驚いて、懐中電灯を落としかけた。
「……誰だ?」
返事はない。
黒い人影は、ゆっくりとトイレの裏側へ歩いていった。
男は反射的に後を追った。
しかし――
いない。
トイレの裏には、誰もいなかった。
「……?」
逃げる場所などない。
それなのに、人影だけが消えていた。
男は急に怖くなり、公園を出ようとした。
そのときだった。
背後から、
「……待って」
小さな声が聞こえた。
男は立ち止まった。
振り返れない。
すると、もう一度。
「……待って」
今度は、すぐ耳元で聞こえた。
男は夢中で山道を駆け下りた。
車まで戻り、震える手でドアを開ける。
そしてエンジンをかけようとした、その瞬間――
助手席の窓に、
黒い手の跡が浮かび上がった。
「……!」
男はアクセルを踏み、山を離れた。
翌朝。
昨夜のことを確かめるため、男はもう一度、公園の写真を撮った。
すると、一枚だけ妙な写真があった。
暗い公園の奥。
古いトイレの横に、
昨夜と同じ黒い人影が立っている。
しかし、それだけではなかった。
写真を拡大すると、人影のすぐ後ろに、もう一つ顔のようなものが写っていた。
そして男は気づいた。
昨夜、自分が見た人影は――
ずっと自分のほうを見ていたのではない。
その後ろにいる「何か」を、
見張っていたのだ。
それ以来、その公園では、
「トイレの横に男が立っている」
という噂に加えて、
「男の後ろには、絶対に立ってはいけない」
という別の噂まで囁かれるようになった。
ただし――
その二つ目の噂が、いつ誰から始まったのかを知る者はいない。
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