上高地別荘ホテル――誰もいない部屋

深い山の中に、かつて「上高地別荘ホテル」と呼ばれていた古い建物があった。

周囲には木々が生い茂り、建物は長い間、人の気配から遠ざかっていた。

ある夏の夜、肝試しに訪れた数人の若者が、その建物の中へ入った。

廊下には古びた絨毯が敷かれ、壁には剥がれかけた壁紙が残っている。

「ホテルだったなら、客室があるはずだ」

そう言って、一人が二階へ続く階段を上った。

二階には、いくつもの扉が並んでいた。

しかし不思議なことに、どの部屋も扉が少しずつ開いている。

一番奥の部屋だけが、固く閉ざされていた。

「ここだけ閉まってる……」

誰かがドアノブに手を掛けた。

その瞬間――

中から、

コン……。

小さな音がした。

全員が黙り込んだ。

もう一度。

コン……コン……。

まるで、部屋の中から誰かが扉を叩いているようだった。

「誰かいるのか?」

返事はない。

恐る恐る扉を開ける。

そこには、何もなかった。

古いベッドと、埃をかぶった家具。

そして窓際に、古びた椅子が一脚置かれているだけだった。

「気のせいだろ」

そう言って部屋を出ようとした、そのとき。

背後から、

「……まだ、帰らないの?」

女の声がした。

全員が一斉に振り返った。

誰もいない。

しかし、さっきまで窓際にあった椅子が――

いつの間にか、部屋の中央に移動していた。

そして、その椅子の上には濡れた足跡が残っていた。

足跡は椅子から始まり、廊下へ続いている。

一行は慌てて階段を駆け下りた。

玄関まで来たところで、一人が人数を確認した。

「……一人、多くない?」

全員が凍りついた。

確かに、そこには自分たち以外の人影があった。

白い服を着た女性が、廊下の奥に立っている。

顔は長い髪に隠れている。

そして女性は、ゆっくりと手を上げた。

指差した先には――

二階の、あの閉ざされた部屋。

「……忘れ物、置いていかないで」

その声を聞いた瞬間、建物全体から無数の扉が閉まる音が響いた。

バタン。

バタン。

バタン。

一行は一度も振り返らず、建物から逃げ出した。

翌朝。

もう一度現場を確認すると、二階の奥の部屋には新しい足跡が残っていた。

その足跡は部屋の中央で止まり、そこで突然消えていた。

そして、壁には昨日までなかったという文字が残されていた。

「次のお客様を、お待ちしています」

それ以来、その建物の近くを夜に通ると、誰もいないはずの二階から、

「コン……コン……」

と、客を呼ぶようなノックの音が聞こえるという。

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