平和の滝――滝の音に混じる女の声
札幌市西区。
山へと続く道を進んだ先に、「平和の滝」と呼ばれる場所があります。
昼間は自然に囲まれた静かな場所ですが、夜になると雰囲気は一変します。
昔から、この周辺では奇妙な噂が語られていました。
「夜、滝の近くで女性の声を聞いた」
「誰もいない場所で、人の気配を感じた」
そして、最も恐ろしい噂。
――滝の近くで名前を呼ばれても、決して振り返ってはいけない。
ある夏の夜。
一人の男性が、その噂を確かめるため平和の滝を訪れました。
時計は午後11時30分。
車を停めると、周囲には街灯もほとんどありません。
聞こえてくるのは、滝から流れ落ちる水の音だけ。
ザァァァ……。
男性はスマートフォンのライトを頼りに、ゆっくりと滝へ向かいました。
すると、途中で妙なことに気がつきます。
さっきまで聞こえていた虫の声が、突然なくなったのです。
森の中が、異様なほど静かになりました。
「……誰かいるのか?」
男性が声をかけました。
返事はありません。
そのまま歩いていると、滝が見えてきました。
白い水が暗闇の中へ落ちています。
ザァァァ……。
男性は滝を撮影しようと、スマートフォンを構えました。
その瞬間。
「……ねぇ」
女性の声がしました。
男性は振り返りました。
しかし、誰もいません。
「……空耳か」
そう思って再び滝を見ると、
スマートフォンの画面に、一瞬だけ人影が映りました。
滝の横。
長い髪の女性が立っているように見えます。
男性は驚いて振り返りました。
――やはり、誰もいません。
ところが。
「……こっち……」
今度は、はっきり聞こえました。
声は滝の裏側から聞こえてきます。
男性は怖くなり、帰ろうとしました。
その時でした。
「……待って」
背後から女性の声。
男性は動きを止めました。
そして、ゆっくりと振り返ろうとした、その瞬間――
スマートフォンのライトが突然消えました。
真っ暗です。
滝の音だけが響いています。
ザァァァ……。
男性は慌ててスマートフォンを操作しました。
しかし、画面は真っ黒。
その時。
耳元で、女性が囁きました。
「……どうして振り返ったの?」
男性は凍りつきました。
自分はまだ振り返っていない。
それなのに――
「振り返った」という。
男性は目を閉じ、そのまま走り出しました。
木の枝に何度もぶつかりながら、必死に来た道を戻ります。
そして、ようやく車までたどり着きました。
ドアを開け、車内に飛び込みます。
エンジンをかけようとした、その時。
カーナビの画面が突然点灯しました。
そこには、見覚えのない映像が映っていました。
――さっき撮影した平和の滝。
しかし、画面の端には、
長い髪の女性が立っています。
男性は震えながら画面を見つめました。
すると、その女性がゆっくりと顔を上げました。
そして――
画面の中から、こちらを見たのです。
男性は慌ててエンジンをかけ、その場から逃げ出しました。
翌朝。
自宅に戻った男性は、昨夜撮影した動画を確認しました。
しかし、不思議なことに、動画には滝しか映っていません。
女性の姿も、声もありません。
「やっぱり夢だったのか……」
そう思った男性は、動画を削除しようとしました。
その時。
動画の最後に、一瞬だけ音声が入っていることに気づきました。
音量を上げます。
滝の音。
風の音。
そして――
小さな女性の声。
「……また来てね」
男性は、その動画を二度と再生することはありませんでした。
これは、平和の滝にまつわる噂をもとにした創作怪談です。
本当にそこで何かが起きるのか。
それとも、滝の音と暗い森が生み出した錯覚なのか。
答えは分かりません。
ただ一つ。
夜の滝の前で、自分の名前を呼ばれたとしても――
その声の主を、確かめようとはしないほうがいいのかもしれません。
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