七曲りの一本松

昔、山道に「七曲り」と呼ばれる場所があった。

名前の通り、道が何度も大きく曲がる険しい峠道で、昼間でも薄暗い。

その途中に、一本だけ大きな松が立っていた。

周囲には木がいくらでも生えているのに、なぜかその松だけは開けた場所にぽつんと立っている。

地元では、いつしか「一本松」と呼ばれるようになった。

そして、昔からこんな噂があった。

――夜、一本松の前を通ると、後ろから誰かがついてくる。

ただし、絶対に振り返ってはいけない。

ある夏の夜。

仕事帰りの男が、七曲りを車で越えていた。

時計を見ると、午前零時を少し過ぎている。

山道には街灯もなく、車のライトだけが暗闇を切り裂いていた。

「こんな時間に通るんじゃなかったな……」

そう呟いたときだった。

ヘッドライトの先に、一本松が現れた。

男はなぜか、松の前を通る瞬間だけ妙な寒気を感じた。

そして、その直後。

――コン。

車の後部から、小さな音がした。

「……?」

男はバックミラーを見た。

当然、誰もいない。

気のせいだと思い、そのまま車を走らせた。

ところが。

――コン。

また鳴った。

今度は、はっきり聞こえた。

車の後ろを、誰かが叩いているような音だった。

男はアクセルを踏み込んだ。

すると、音も次第に大きくなった。

――コン、コン。

――コン、コン、コン。

「なんなんだよ……」

怖くなった男は、バックミラーを見ないようにした。

しかし、次の瞬間。

車内の後部座席から、

「……ねえ」

女の声が聞こえた。

男の手が震えた。

後部座席には誰も乗せていない。

それでも、確かに声は聞こえた。

「ねえ……」

今度は、すぐ耳元だった。

男は必死に前だけを見て運転した。

やがて七曲りを抜け、町の明かりが見えてきた。

その瞬間、声が消えた。

男は大きく息を吐いた。

「助かった……」

そして信号待ちで、恐る恐るバックミラーを見た。

誰もいない。

ただ、後部座席の窓だけが白く曇っていた。

その曇ったガラスに、指で書かれたような文字があった。

――「もう一回、戻って」

男は凍りついた。

さらに恐ろしいことに気づいた。

その文字は、車の内側から書かれていた。

翌朝。

男は車を確認した。

後部座席には、泥で濡れた足跡が二つ残っていた。

そして、その足跡は座席から前へ向かって続いていた。

運転席の真後ろまで来たところで、途切れていた。

男はそれ以来、七曲りを二度と通らなくなったという。

しかし今でも、夜中に一本松の前を通る車の中には、

誰もいないはずの後部座席から、

「……ねえ」

と呼びかける声を聞いたという話が残っている。

そして、その声を聞いた人には共通することがある。

七曲りを抜けたあと、必ず一度だけ、

「後ろを見てはいけない」

という声が聞こえるのだという。

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